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詩誌「三」69号掲載【わたしと、わたしの叔父さん】飯塚祐司

人生には、楽しい事ともっと楽しい事の二つしかない。

そんな事を言うのは、アラブの石油王かあるいはラテン系の底抜けに明るい楽天家かと思うかもしれない。だが、その言葉の主はわたしの叔父さんだった。

近所に一人で住んでいる叔父さんは、英語が好きで昔は外国で仕事をしていたそうだ。ところが大きなミスをして首になってしまい、帰国してからは駅前の小さなビジネスホテルで働いていた。お酒が大好きで、夜勤明けに駅裏の立ち飲みのお店で酔っ払っているのを、通勤途中のお父さんに見つかりそうになって慌てて暖簾に隠れた、と笑いながら言っていた。叔父さんは、昔から実の父親よりも兄であるうちのお父さんが何より怖かったそうだ。

背の高いお父さんに比べて叔父さんは小柄で、猫背な事もあってさらに小さく見えた。髪も所々薄くなっていて、二人が並ぶと叔父さんの方が年上に見える程だった。性格も正反対で、真面目で几帳面で物静かなお父さんに比べて、叔父さんはいい加減で適当でおしゃべりだった。そして本業で儲けたからといってお父さんとお母さんの居ないときに、よくお菓子を買ってきてくれる子ども好きな人だった。その本業というのがパチンコの事だと知ったのは、もう少し大きくなってからの事だった。

アパートの叔父さんの部屋は、お酒とたばことコーヒーの臭いがいつもした。決して大きな部屋ではなかったけれど、部屋の壁一面は本棚で埋め尽くされ、床にもはみ出した本が積み上げられていた。外国時代に買った珍しい本もたくさんあり、色鮮やかなそれらの本は何と書かれているか分からなくても眺めているだけで楽しかった。お母さんはあまり良い顔はしなかったけれど(お母さんはあまり本が好きじゃない)、留守番の時はよく叔父さんの家に遊びに行った。わたしといるときは、叔父さんはいつもコーヒーを飲んでいた。一度わたしといるときにお酒を飲んで、お父さんに物凄く怒られたからだ。お父さんもコーヒーが好きで、そこだけは二人一緒だった。ただブラック党のお父さんと違い、叔父さんはお砂糖もミルクもたっぷりと入れていた。一度飲ませてもらったことがあるけれど、それでもわたしには苦かった。

叔父さんの部屋には色々な本があったが、中でも一番多かったのは推理小説だった。何度チャレンジしてみても、難しすぎてわたしには全然分からなかった。大きくなったら分かると叔父さんは言っていたけれど到底そうは思えなかった。叔父さんが死んだら、好きな本を好きなだけ持っていけ。よくそうも言っていた。だから、何冊かは今この部屋に置かれている。まだわたしには、その楽しさが分からないままだ。

入院中の叔父さんは、更に一回り縮んだように見えた。お酒もたばこも禁止されているから、枕元にはコーヒーのたくさん入ったポットが置かれていた。おしゃべりだった叔父さんはその頃は少し無口になっていて、いつも本を読んでいた。家から頼まれて本を持ってくることもあれば、リクエストされた本をお父さんと一緒に買いに行くこともあった。

叔父さんが個室に移ったその日、お医者さんと話してくると出ていったお父さんは中々部屋に戻ってこなかった。外ではすっかり陽が傾いて、西の空は溶けるように赤く、病室の前の木々は長い影を伸ばしていた。風が吹くと木々がざわめき、長い影が手を降るように病室の窓を撫でた。それを見て、わたしは何故か怖くなり、いつの間にか涙が止まらなくなった。声もあげずに泣くわたしをしばらく叔父さんは気づかなかったが、本から顔を上げてぎょっとした顔でこちらを見た。そうして言った。

人生には、楽しい事ともっと楽しい事の二つしかない。何故ならそれ以外の時間は、寝ている間に見る夢のようなものだからだ。

そう言う叔父さんの顔を、一瞬窓から伸びる影が横切った。

叔父さんにとって、楽しい事って何?

コーヒーを飲みながら推理小説を読んで推理する時だ。

じゃあもっと楽しい事って?

その推理が外れた時だ。

そう言って叔父さんは、空になったカップにコーヒーをなみなみと注いだ。
太陽は既に地平線の向こうに沈みかけ、赤から群青へ、階段を上るように夜がもうそこまで来ていた。喉が渇いたので、わたしは勝手に叔父さんのカップに口をつけた。砂糖もミルクも入っていないそれはとても苦かったけれど、我慢して一口飲み込んだ。

2023年3月 三69号 飯塚祐司 作


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