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詩誌「三」73号掲載【その為に今日を生きている】飯塚祐司

少年は憤っていた。理不尽に身を震わせんばかりであった。その理不尽を誰一人として理解しない事にも、少年はさらに憤っていた。

少年の誕生日は十一月一日であった。その日が「犬の日」と呼ばれている事を、隣の家に住んでいる大きな犬を飼っているおばさんに教えてもらった。犬の鳴き声「わん」に引っ掛けてわんわんわんという訳である。少年にはそれが気に入らなかったのだ。隣の犬と目が合うたびに吠えられている少年は、犬よりも猫の方が好きだったからだ。だから、両親に誕生日を二月二十二日に変更して欲しいとお願いをした。二月二十二日とはもちろん、にゃんにゃんにゃんで猫の日である。そんな息子の願い事を、両親は叶えるどころか一笑に付したのである。誕生日を変えられるわけないでしょ、と。自分の誕生日さえ自分で決められないとは、これが理不尽でないとすれば何が理不尽だというのか。悔し涙を流して地団太を踏む少年を、両親どころかまだろくに言葉も話せぬ妹でさえ、不思議なものを見るような目をする他なかった。だが一晩眠れぬ夜を過ごした少年は、素晴らしい考えを思いついた。生まれた日を自分で決められないとしても、死ぬ日は自分で決められる。少年は二月二十二日に死ぬ事を、その日、その時決めたのだった。もちろん、少年は直ぐに死のうと考えた訳ではない。おじいさんになっていつか死ぬ時が来たならば、その日を二月二十二日にしようと考えたのだ。その為に、少年はまず体を鍛える事にした。少年の祖父はある日突然倒れてそのまま亡くなったのを覚えていた。そんな事になっては困るので、不慮の病気にならないようにする為にもまずは体を丈夫にするべきだと考えたのだ。もちろん、好き嫌いや夜更かしなど論外だ。突然規則正しい生活を送るようになった息子
を、両親は好ましくもどこか薄気味悪く眺めていた。

しかしそれから数年経って、そんな考えを一変させる出来事が少年の身に降りかかった。その日も日課のランニングをしていた少年だったが、折からの雨が強くなるにつれ、風邪をひいては元も子もないと早めに切り上げる事にした。顔なじみのおじさんと大きな欅の木の下で挨拶を交わしてすれ違った瞬間、後ろで地面が割れるように大きな音がした。驚いて振り返ると、欅の木に大きな裂け目が走り、そばにはすれ違ったばかりのおじさんが倒れていた。落雷にあったおじさんは、結局そのまま亡くなってしまった。挨拶を交わしたその時、まさか数秒後に自分が死ぬとは夢にも思わなかっただろう。そして、もし木の下を通るのがほんの僅かでもずれていたならば、少年が死んでいたかもしれなかったのだ。自然災害が相手では、どんなに体を鍛えたところで無意味なのは明らかだった。

それから少年は、規則正しい生活を続けつつも以前の様に体を鍛える事を止め、勉強に心血を注ぐようになった。もはや少年が何をしても家族は驚く事はなかった。そして青年になった少年は、最難関の大学に入学するとそこでも優秀な成績を収め、海外の大学へと留学した。その大学は科学の世界では最先端を行く有数の研究機関だった。青年が師事したのは失われた人体を機械で代用する技術の権威にして、そして飛び切りの変人として知られる教授だった。青年はそこで寝食を忘れるほど研究に没頭し、そんな青年に何か思うところがあったのか、教授もまた惜しげもなく知識や技術を与えていった。

教授の下で新鋭の科学者として知られるようになった青年が、帰国を間近に控えたその日、それは起こった。大学から帰宅する途中の青年に、居眠り運転をしたトラックが突っ込んだのだった。凄惨な光景を覚悟した周囲をよそに、無傷で助かった青年は逃げるようにその場を立ち去った。あっけにとられる市民の中で、たまたまその場にいた警官の一人は目撃していた。破れた衣服の隙間から、機械になった青年の体を。

警官がそのことを上司に報告すると、警察が俄かに慌ただしくなった。人体の機械化は医療の分野で既に実用化されて久しかったが、トラックの衝突に耐えられるレベルの技術は、軍事転用すればどれほど危険なものになるか分からない。秘密裏に教授と青年が呼び出されたが、警官が駆けつけた時には教授は毒をあおって自死しており、青年は既に帰国した後だった。

帰国した青年は自身の体の事は秘密にして、大手製薬会社の研究員として働いていた。すっかり習慣となった規則正しい生活を続けながら、一匹の猫と悠々自適に暮らしていた。そんなある時、世界を震撼させる事態が起こった。突然来訪した宇宙船が、地球に攻撃を仕掛けてきたのだ。どこからやって来て何が目的かも分からないまま、宇宙船との戦いを強いられた人類だったが、ミサイルでも傷一つつかない宇宙船を相手に劣勢を強いられた。かくなる上は内部に潜入しての破壊工作しか活路はないが、いったい誰がそんな危険なことができるだろうか。世界中が絶望に陥った。たった一人、青年を除いて。

あんなものに地球を壊滅させられては、二月二十二日に死ぬ事ができなくなる。憤慨した青年は教授が残したデータを基に大急ぎで設計を行い、こっそりと自社の研究設備を使い自身の体を改造した。飛行できるようにジェットエンジンをとりつけ、両手には宇宙船の外壁を切断するためのレーザー刃と銃を組み込んだ。そして、ある新月の晩に青年は飛び立った。宇宙船の中は想定通り、もしくは想定以上に危険だったが、青年は死ぬべき日に死ぬ為に戦った。そしておよそ二十四時間後、宇宙船が突然太平洋に墜落して行く姿が沿岸諸国で目撃された。その影響でしばらく波の高い日が続いたが、それも次第に落ち着いた。結局彼らが何者で、そして何故急に墜落したのか誰にも分からなかった。墜落した宇宙船を世界中が探したが、欠片一つ見つけることは出来なかった。

体を機械化した青年は老いとは無縁であったが、怪しまれる事を恐れ、会社を辞めて田舎に引っ越し、自給自足の生活を行うようなった。幼い頃からの規則正しい生活は骨身にまでしみ込んで、もはや不要になったにも関わらず止める事ができなかった。時々町の古本屋で買ってくる本と、野良猫しかいない生活ではあったが青年は十分に満足していた。だから、風の噂で妹が亡くなったと聞いた時、もういいかなと青年は思った。妹はたくさんの孫に囲まれた幸せな最期だったそうだ。

その年の二月二十二日は満月だった。窓から差し込む明かりは昼間のように明るく、部屋の片隅に置かれた時計が長い影を作っている。青年は月を肴に今日の為に買い求めた果実酒を飲み干した。そして機械の動力部のスイッチを切ろうとした瞬間、扉がことりと音を立てたのを聞いた。不思議に思って覗くと、そこには血を流した一匹の野良猫がいた。よく遊びにくる猫だったが、事故にあったのか、それとも別の動物にやられたのか、一目で重傷と分かる怪我だった。青年は直ぐに猫を抱き上げるとラボに運んで行った。そこは青年が自身のメンテナンスをするための部屋で、簡単な医療設備もあった。だが、重傷に見えた怪我は致命傷と言えるレベルで、もはや手の施しようがないものだった。青年は一瞬迷ったそぶりを見せたが、猫と目が合うと自身のメンテナンス用のスペアパーツを取り出した。そして猫を麻酔で眠らせると、手術でそれらの部品を取り付けていった。見る間に機械化されていく猫の体だったが、最も重要な動力パーツのみはスペアがなく、これがないと機械の体は正常に動作しない。青年は今度は躊躇う事無く、非常用の予備電源に切り替えると自身の動力パーツを取り外した。そして、そのパーツを猫に取り付けにかかった。予備電源の稼働時間は短い。青年は大急ぎで動力を組み込むとスイッチを入れた。本来であれば猫に合わせて調整を行うところ十分な時間がなかったので、いつ不具合が起きるか分からない。青年は猫に自分の死ぬ日を決めさせて上げられないことを申し訳なく思った。作業を終えて時計を見ようとしたが、予備電源の限界が近づいている事もあり、月の明かりが陰になってよく見えなかった。日付が変わる前であれば良いのだけれど。薄目を開けた猫に問いかけたが、返事はなく、青年は苦笑して目を閉じた。

2024年3月 三73号 飯塚祐司 作

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