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詩誌「三」72号掲載【こだま】飯塚祐司

ねこのこだまがいなくなった。
昼間の暑さがなりを潜め、心地よい風が吹き、つくつくぼうしの声が聞こえる夕方。お腹の上にごろごろと鳴くこだまを乗せて、デッキチェアで音楽を聴いていた。心地よい風に一瞬うとうとしてしまい、気づいた時には既にこだまの姿はどこにもなかった。お腹の上にはじんわりとした体温と、ぴんと伸びたおひげが一本残っていた。
慌てて家の中のお母さんにこだまがいなくなった!と叫ぶと、
「だから言ったでしょ、ねこは液体だからあまり陽にあたると蒸発しちゃうって。心配しなくてもそのうち雨と一緒に降ってくるわよ」
と、落ち着いた様子だった。
そう言われても、わたしは心配で仕方がなかった。こだまは全身真っ白な長い毛で覆われていて、頭の上だけ明るい茶色をしているから、遠目には大きなみたらし団子のような姿をしていた。その見た目通り俊敏さはかけらもなく、ねこなのに高いところに上るのが苦手で椅子に乗るのが精一杯。よっこらせと立ち上がって、よっこいしょと座り込む、そんな野生のやの字も持ち合わせていない子だった。そんなねこが、はたして無事に帰ってくることができるのだろうか。
夏が過ぎ、秋が来てもこだまが帰ってくる気配はなく、わたしの心配は募るばかりだった。

「明日は北からの寒気が列島を覆うため、各地で今シーズン一番の冷え込みになる見通しです。平野部でも雪やねこが降る可能性がありますのでご注意ください」
昨日の天気予報でそう言っていたので、わたしは学校を休んで朝から庭を眺めていた。お母さんも今日ばかりはしょうがないわね、と見逃してくれた。予報通り昼過ぎには雪が降りだした。思った以上に勢いが強く、積もりそうな気配だったが、肝心のこだまが帰ってくる様子はなかった。
じっとしているのに飽きて庭に出ると、ざくざくとした新雪の感触が心地よかった。寒くなってからすっかり使うことのなくなったデッキチェアに、早くも雪が積もっている。その雪を丸めて、掌に乗りそうなくらい小さな雪だるまを一個作った。雪の量が少なくて少し不細工な形になってしまったけれど、どこか愛嬌のある雪だるまだった。
寒くなってきたので家に入ろうとしたところで、うにゃという声がして振り向いた。デッキチェアの上、さっきまで雪だるまがいたところにこだまがいて、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
慌てて抱き上げると家の中に連れ帰り、こだまが帰って来たよ!と呼びかけた。急いで駆け寄ってきたお母さんが抱っこをすると、嬉しそうにごろごろと鳴いている。明るいところで見ると、真っ白な毛はそのままだったが、頭の茶色が心なしか濃くなっている気がする。
「いろいろ巡って、どっかで美味しいものでも食べてきたんでしょ」
お母さんがそう言うので顔を近づけてみると、ねこと雪の匂いの他にほのかにあんこの甘い香りがした。

2023年12月 三72号 飯塚祐司 作

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