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お金の本質と2,500年前からある人間のサガによる没落パターン

 今日は渡辺崋山シリーズ第五弾です。

第一弾

第二弾

第三弾

第四弾

 あの竹田和平さんは「お金は愛」といいました。そして、愛というのは男女の恋愛とか親子愛みたいなものだけを指すのではない、ということも上記記事で書きました。

 愛と言っているけどその本質は「おもいやり」であり、これが分かるともっと広い概念だと分かる。信用信頼というのも含まれるのだ、ということも分かる。更に、これが分かるとお金の本質が分かる、と書きました。

 そこで、今日はこのお金の本質だとおもう話を書こうと思います。上記記事でも書きましたが、崋山はこう残しています。

繁盛するに従つて益々倹約せよ
小遣は一文よりしるせ

繁盛とはどういうことか?

 ここで言う「繁盛」とは沢山の顧客がこちらを信用してくれて沢山のお金を流してくれている状態です。

 もちろん、こっちはサービスなりモノなりを提供しています。顧客はそのサービスを受けるのにお金を支払うわけです。そして、お金は愛であり、思いやりです。ということは顧客が流してくれたものは愛であり、思いやりだ、ということになるわけです。

繁盛して勘違いするとどうなるか?

 ところが商う側がお金という物質に心を奪われるとどうなるか?

 現代でもおりますね。「自分はお金を創る能力がある」と勘違いする。それを傲慢というのです。相手が流してくれたものだということを忘れている。ひどいのになると「自分は人をコントロール出来る」などと言い始めるのもいますね。こうなると尊重するべき他人を支配できるといったようなものです。それがまた傲慢さを生む。

 このように、まるで錬金術を手に入れたかのように錯覚するとどうなるか?人を操作できると錯覚するとどうなるか?

 自分のためにお金を使い始めるわけです。生活は華美になり、贅沢がひどくなる。流してもらったお金は自分のモノだと言って人の上に立ってマウントしたりするのです。

お金の本質

 だから、2500年前の孔子は

利に放りて行なえば、怨み多し

論語

と残したのです。そして、これこそが古来からつづく没落パターンだということです。

 そもそも、「お金は天下の回りもの」と言いますよね。僕たちが「所有している」感覚のものは結局は「預かっている」だけなのです。お金だって結局は使うのです。つかった瞬間に所有感覚はなくなりますよね。そして、仮に使わなかったとしても結局僕達は死ぬんです。死んだら所有もヘチマもないでしょう。つまり、預かっているだけ。

 そういうところまで考えるとお金や儲けの本質が見えてきます。自分がいい生活をするために、自分が贅沢するために、人から集金したらそりゃ怨まれるでしょう、ということなのです。

 でも、人間はどうしても傲慢になる生き物なのです。僕も偉そうな事書いてますが、傲慢になることいっぱいあるんです。昔の人もそうだった。だからこそ、崋山は戒めを残したと思うんですよね。

繁盛するに従つて益々倹約せよ
小遣は一文よりしるせ

 いつも忘れずにいたい戒めであり、ここにお金の本質が現れていると思わずにはいられないのです。


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