見出し画像

尊厳〜自分が自分であること〜


尊厳を辞書で引くと

尊厳っていったい何でしょう? 
辞書で引くと、尊く、厳かなこと。との記載。
非常にあいまいで、抽象的ですね。
でも、尊厳って、本来抽象的なのかもしれません。
個々に違い、正解がないのですから。

人間らしい生活

人間が人間らしく扱ってもらえない時、尊厳を侵害されている、
尊厳が冒されている、などと表現されます。
 最低限の生活の保障が日本国憲法にも掲げられていますね。
「健康で文化的な生活」この点も掘り下げる必要がありそうです。

その人がその人らしくあるために

 自分のこだわりのもとに、誰ものでもない、ただその人でいられることが、尊厳がある状態だといえます。

 認知症と診断されたら、「認知症の私」なのでしょうか。
うまく話ができなくなっても、記憶が残らなくなっても、変わらず「私」は「私」のはずです。何かが変わったわけではないのです。

 他人が自分にとって良いと思うケアと、自分が希望するケアは、ときおり違います。
 正しい行為であっても、自分が不本意ならば、それは不適切なことかもしれません。

 医療者であった私が、徹底的に苦手だった領域でした。

 例えば、無精ひげをシェーバーで整容する、毎朝の洗顔。身なりを整えることは、当然のケアだと思っていました。
 でも、ある男性の方で、「ひげがないのは、男として威厳がないし、子供に見えるから多少残しておくのがいいんだ!」という言い分がありました。

 ひげを剃るのがめんどうで、思わず出た言葉だったのかもしれません。
でも、そこに真意を感じました。

 自分がよいと思ったり、当然だと思っていることが、他人にとっては違うことだってある。
 常にご本人の意向に沿ったケアができているのか。迷ったときに、深呼吸して立ち止まる大切さを感じています。

 その人がその人であるためには…

 

尊厳のあるケアのために

 こちらに書いてもいますが、自分が認知症になった時に、きっと役に立つはずです。
 自分しか知らない自分のこと。

 入居される前の、その人の長きにわたるその人だけの人生。その情報がなければ、その人にふさわしい、尊厳のあるケアには、たどりつけないのです。ぜひどこかに残していおてください。

 今日はここまでに。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?