レベルに関係なくサッカーの構造を理解してからプレーを楽しもう!


指導者をやっていて、現場で感じていることを率直に書いてみました。
理想のサッカーより、現状からの第1歩の方が重要

という言葉についてお話ししたいと思います。

目次

1. 戦術以前の問題
2. 「サッカーの魅力にカテゴリーは関係ない」
3. レベル3のバルセロナのサッカーを目指すという考え方も面白い
4. できるできないではなくやりたいからやる
5. サッカーは失敗のスポーツであることを前提にプレーする
6. やりたければ今すぐはじめよう
7. 最後に

1,戦術以前の問題ばかり


結論からいうと、サッカーは戦術がやるのではなく、生身の人間がやるスポーツであるということ。戦術が好きな指導者には、戦術オタクみたいな人が多いですが、彼らは戦術論には長けていますが、人の感情を動かすことができません。なので選手はロボットのような動きになり、状況に応じた選択と判断ができないまま、敗北を迎えます。

しかし、指導者であれば、多かれ少なかれこの道は通るんじゃないかと思います。

サッカーの戦術やゲームプランの多様さ、ピッチ上でのミクロ、マクロでの駆け引きなどは無数にあってどれも素晴らしく魅了されますよね。

どの指導者も自分が理想とするサッカー像をもっていると思います。
しかし、たいていは理想通りにはいかないんですよね。なぜなら、プレーするのは人間であり、彼らの心を動かす必要があるからです。チーム内に約束事を数多く作る指導者もいますが、局面局面での選手の判断を奪うので、どこかのタイミングで限界を向かえます。

私も指導をして最初の試合で感じたのが「戦術以前の問題だ」ということでした。
当然なのですが、自分にとってのサッカーの当たり前は、子供達にとっての当たり前ではありません。チームのレベルによっては満足にインサイドキックもできないし、ポジショニングの優先順位もありません。
戦術というのは、作戦ボード上では成立しますが、実際にゲームをやってみると、作戦通りにいくことはあまりないんですね。
実際の「指導」とは、もっと複雑で、感情的で、泥臭く、地道なもなのです。
もちろん戦術的な知識やアイデアは大切です。あるに越したことはないし、なければいけません。しかし、それだけでは圧倒的に不十分です。
戦術という要素は指導者に求められる素養として、全体の20%にも満たないと思います。
本当に必要なのは、「チームが向かうべき方向や考え方を示し、選手とコミュニケーションを取りながらそこまで根気よく導く」ことです。テクニック、戦術、フィジカル、メンタル、コミュニケーション、リーダーシップ・・・
「サッカーを楽しむために必要なものは戦術だけではなく全部必要」でした。
「必要なことは、可能な限り全部やること」

選手の体調が万全でないならそれを察知しないといけないし、フラストレーションを抱えているなら取り除く必要があります。

サッカー以外の話をすることが必要なのであれば、そうしなければならないでしょう。
そして「わからなければ、わかるように勉強する。できるように勉強する」以外に道がないんです。
とってもシンプルですが、シンプルを継続することが一番難しい。
最終的にすべてのことをレベルアップしていくと、「人間力アップ」につながると思っています。

優秀な指導者は、人を何か惹きつけるものがあります。それがないと選手もスタッフもついていきませんからね。「相手の心を理解して思いやる心」そしてその伝え方を磨いていかないと、自分理想のサッカーは現実化しないのです。実現しないというより人がついてこないですね。


2,サッカーの魅力にレベルやカテゴリーは関係ない


「サッカーの面白さに、レベルとかカテゴリーは関係ない」

最近これを心底感じていて、サッカーって誰とでもどのレベルでも楽しめるな〜と感動しています。

「当然、技術レベルとかフィジカルレベルによってプレーの精度とか成功率、プレースピードとかが変わるのは当たり前ですが、もっと大枠の、サッカーというゲームにおいて『どういうプレーが有効か』とか『どういう選択と判断が適切か』とか『そのためにどういうトレーニングが必要か』とか、そこから得られる面白さとか喜びに、絶対カテゴリーは関係ありません。 

サッカーは相手が連続的に動くスポーツ。
だからゴールに行く為に、相手を見て、選択肢を持ちながら、判断していく。
これがサッカーの本質であり醍醐味です。
関わるチームメイト、対戦相手によって、戦略や戦術を変えていく。
この無限に存在する方法論が楽しかったり時には苦しめられたりする。

指導者は、子供達のレベルやカテゴリーに関係なく、『サッカーのゲームとしての面白さ』をしっかりと伝える必要があります。
選手達が楽しいと伝わるようなトレーニングをする必要があるのです。

メディアの影響によって優れた戦術ばかりが良いみたいな風潮がありますが、戦術はサッカーの要素の1つに過ぎません。

「サッカーというゲームの面白さを享受するためには、常に戦術以外の要素にも向き合い、向上する必要がある」ということを理解する必要があるのです。

3,レベル3のバルサを目指すのもあり!

これは「○○は■■ができてから」という考え方とは少し違います。
(もちろん3mのパスができない子に30mのパスを通せとは言いません)

例えば「自陣ゴール前からクリアできない」という現象を、より細かく分析してみます。
「そもそもいるべきポジションを取れていないからボールに追いつけない」のと、「ポジションは取れているのにボールを蹴ることができない」のは、似て非なる状態です。

クリアの技術が完璧ではなくても、適切なポジションを取ることはできます。そして適切なポジションを取れるだけでも、最初に比べればある程度失点は減るでしょう。なぜなら「適切なポジションを取ることができる」というのは、サッカーというゲームの構造上有利な一手のひとつだからです。これが、技術的に差があっても、ゲームの構造は変わらない、ということです。
スペインに行った時にこれを強く感じました。スペインでは小学生年代で団子サッカーにはなりません。なぜなら指導者が選手にサッカーの全体像を教えていくからです。
なので、1人1人の技術は高くありませんが、試合になると、皆適切なポジションにいるので、理にかなっているのです。

肌感覚としては、自分の方が技術はあるのにに何か勝てないんだよな〜という感覚です。

ここに10本中9本クリアできるA選手と10本中6本クリアできるB選手がいるとしましょう。
A選手の方が、単純な技術的には優れています。しかしポジション取りに課題があり、10本中4本にしか追いつくことができないとします。A選手のクリア期待値は3.6本です。

対してB選手は4本しかクリア出来ませんが、適切なポジショニングができるので、10本中9本に追いつくことができるとしましょう。するとB選手のクリア期待値は5.4本です。

こう見れば、クリアに関して言えば、より良いプレーヤーはB選手でしょう。
(もちろんこれだけではないですが)正しいポジショニングができれば、技術的に劣る(こういう言い方は好きではないですが、便宜上です)選手にも活躍のチャンス、つまり「サッカーを楽しむチャンス」を提供することができます。また、技術的に優れたA選手にも、新たな発見、新たな楽しみ方を与えることができます(こういう時は伝え方が大事ですね)


今の自分が目指しているのはこういうことです。そして指導者の方には、サッカーの構造や本質を子供達に教えてあげて、子供達がそれを軸にして自分達で考えることを楽しめるベースを提供してあげてほしいです。

「俺たち下手だから、バルサみたいなサッカーができないよね」ではなく、「俺たち下手だけど、下手なりにバルサみたいなサッカーをやろうよ」という感じですね。

バルセロナのサッカーの構造を理解すれば、精度は低くても彼らと同じような喜びを得られるはず、という考え方です。
「イニエスタみたいにインサイドパスが10本中9本通るようになってから戦術的な練習をします」ではなく、「イニエスタがやってる『ポジショニング』とか『判断』のトレーニングは別に今すぐにでもできるでしょ、じゃ、パスの練習も、戦術的な練習も、両方やろうか」ということですね。イニエスタが「イニエスタLv100」だとしたら、「まずイニエスタLv100と同じパス能力をつける」ではなく「イニエスタLv5」「イニエスタLv20」「イニエスタLv60」を目指す、チームも「バルサLv5」「バルサLv50」を目指す……という感じです。


もちろん、サッカーチームはピッチ内の技術と戦術以外にも様々な要素が絡まって存在している「複雑系」なので、そのコアとなるダイナミズムを理解して、うまく進めていかなければいけません。

うまくいかない時は・・・
それが戦術的なことでも、技術的なことでも、メンタル的なことでも、究極的には指導者である自分の責任である

という自己責任マインドは必須です。
他責にするのは楽ですが、改善がないので、行動しなくなる。行動しないと結果は変わらないので、現状維持のままになって停滞してしまうからです。

サッカーというゲームの主役は選手で、本来自由なものです。
指導者が子供達にとっての「雑音」「妨害」になってはいけない。逆に、それを取り除ける存在でなければなりません。

サッカーは複雑でいろいろな変数がありますが、その中でも重要な変数に集中できるか。
ピッチ外に問題があるなら、それを解決してあげられるか、せめてその手助けができるか。
選手達にサッカーの面白さを伝える、そのために必要なことは何か。

「サッカー歴に関係なく、それぞれがサッカーの面白さを感じられるか」ということです。

だからこそ、「サッカーっていうゲームの面白さに、レベルとかカテゴリーは関係ない」のです。

4,できるできないではなく、やりたいかやりたくないか


「うまくなる義務」なんてものはどこにもないと思っています。ゲームの面白さにのめり込めば、「もっとうまくなりたい」にいずれ直面します。そして自分の好奇心ほど強いモチベーションはないと思っています。

そうなるための引き出しと、そうなった時の引き出しを準備しておくのが指導者の仕事だと思います。そして優秀なコーチは子供達の良さを引き出す、引き出しの量と伝え方、引き出し方が抜群に上手です。


自分の好奇心に素直になること。
これは日々子供達から学んでいることです。「サッカーやりたいからやる!」
「楽しいからやる!」
彼らは、自分の欲求に素直です。天才級ですね。そしてやりたくなくなったらすぐに辞める(笑)みんなこれでいいと思うんです。

「やったことがないから……」
「上手くできるかわからないし……」
というやらない理由を並べるのではなく、
「やってみたいからやる!」

何かを始めるのに、理由なんかいらない。
子供達
から教えてもらっています。


ちなみに、なぜドリブルがうまくできないのか、どうやったらできるようになるのかを真剣に考えるのは、めちゃくちゃ面白いです。

5,ミスを許容する


今では「どうやったらできるようになるだろうか?」というのは自分自身の好奇心になりました。「できないこと」「わからないこと」に対する焦りがなくなりました。むしろ「え、これはわからない!……つまり、まだまだ勉強が必要!」と、成長の余白があることに気が付いて好奇心が刺激されます。

選手も同じですよね。
ミスはたくさんしていい。むしろ「たくさんミスをしよう。ただ、ミスが起きた後に次はどうしたらいいかを必ず考えて頭を鍛えていこう」と伝えています。

ミスは貴重なサンプルです。ミスはスルーするか、修正するかです。そのミスがなぜ起きて、どういうものなのかを伝えて、ポイントを分かってもらうことが大切です。
ミスをした選手が、焦るのではなく、「これ、どうやったら上手くいくんだろう?」という純粋な好奇心に繋げてくれれば最高です。
そして、この概念を子供達に伝えられる指導が増えてほしいなと思います。
指導者がいなくても、遊びで楽しくうまくなれるなら、遊びの方がいいと思います。だから「サッカー楽しい!」という言葉が、最高の褒め言葉です。

なんでも同じだと思いますが、最初から良い指導ができる人はいないと思います。
ミスを許容し、失敗を糧にして、「改善する」ことに集中できたからこそ、今の自分があると言えます。
だから指導者も選手達にもミスを許容して、失敗の経験と改善して成長する喜び、そして好奇心に繋げられるように工夫してほしいなと思います。

 
「ミスをたくさんしよう」とは要するに「チャレンジをしよう」ということですが、これは選手だけでなく、指導者も全く同じだと思います。

どれだけ勉強しても、いきなりは上手くいきません。上手くいくまでやってみて、少しずつ自信をつけていく。それしかないと思います。

 

6,いつだって今が一番若い


なんか多かれ少なかれ「自分はそこそこサッカーができる」と思っていたので、最初のうまくいかない絶望感、焦燥感、羞恥心は半端なかったです。うまくいかないことを認めるのも辛い。学ぶのも辛い。あの時期は毎日きつかったなと今でも思います。

しかし「あれ、指導者として良くなってるかも?」という実感を得られた瞬間、世界が変わりました。

人生で初めて、自発的に学ぶ楽しさを実感しました。
自分をアップデートすることが快感に変わります。その過程で「過去の情報は削除」する必要もあって、最初は名残惜しいですが、少しずつできるようになります。

こういう実感を得られる人が少しでも増えればいいなと思います。


現実問題としてしんどい時間は短い方が良いに決まってて、少しでも早く自発的に学ぶ楽しさを知る人が増えれば、日本サッカー界が少しでも幸せな世界なるんじゃないかなあと思います。指導者が学びのマインドがあれば、子供達も影響を受けて育っていきますからね。
今までやったことなかったことに挑戦する、ようするに変化するのはハードル高いんですが、やってみるうちに少しずつそれが自然になります。
「新しい行動」に慣れてくるんですよね。

チャレンジするのにバックグラウンドとか年齢は関係ないです。関係ないと思える瞬間が多い人は幸せだと思います。
 

7,最後に

やはり学びはアウトプットを意識してこそ洗練されると思います。

特にこれから指導を始める方、練習メニューや考え方やノウハウがわからずに困っている方、などの役に立つことができれば嬉しく思います。

私も自分の内側では失敗だらけの日々です。
でも成長する楽しさを知っているので、ワクワクしてしまいます。
チャレンジしたらミスして当たり前です。
そして、ここまで読んで頂ければわかると思うのですが、「勝つこと」については全く言及しておりません。

サッカーを超えて大枠で考えると、人って成長する為に、地球に生まれてきていると思うので、練習、試合、勝ち負け、全て子供、親、指導者、全てが様々な経験、喜怒哀楽を通して成長する材料だと思っています。
そうすると目先の勝ち負けに過剰にピリピリする必要はなく、リラックスして成長に向き合えると思います。

「たくさん練習しなきゃ勝ちたいと思っちゃいけない」みたいな空気感があるように思いますが、全くそうは思いません。

ただ、「ゲームが下手なままだと勝ちづらい」というだけです。
たくさん練習したかどうか、時間をかけたかどうかも関係ありません。「そのゲームが上手ければ勝ちやすい」、極論「そのゲーム中の決定的な場面で上手いプレーができるかどうか」だけです。練習しない方が上手くなるなら、練習しなくていいと思います。
ただ、ゲームへの適応には時間がかかるので、おそらく練習はした方がいいよね。ということになっていくんだと思います。

じゃあ、その日々の練習が楽しくなったらもっといいし、それで実際にゲームが上手くなるなら最高だよねという考え方です。

いかがでしたでしょうか?
指導者をやっていて、現場で感じていることを率直に書いてみました。

指導現場で活かせそうなものがあれば是非トライしてみて下さい!

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