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読書ノート「なぜ世界は存在しないのか」

久しぶりに読書会に参加できたので参加しての感想。


自己意識、精神、宗教の関係について書かれた項を読む。


今いろいろと知覚している自分の意識は確かに存在しているものであってそれは疑うようなものではない。

一方で、確かでないもののまやかしに惑わされてそれがまるで実際にあるかのように考えるのは間違っている。

例えば水槽の脳(https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201608_post_10557/)のような思考実験は、実際に実現可能とする技術もないのに、脳だけの存在が思考しているものと、私たち人間のように肉体をもって思考しているものと同一視すること自体、脳の存在を過大視しており、誤った世界観に惑わされている。

このため、そのような思考実験をすること自体意味がない。

脳の働きさえ解明されれば人間の意識や思考も解明できるというのは大きな間違い、過ちである。

科学で解明できないものはたくさんある。

唯物論はありえない。

唯物論では国家や宗教もないことになるが、国家も宗教も確かに存在している。

また、脳を解明すれば人間すべてを解明できるかのような位置づけで話す人もいるが、人間として重要な構成要素のひとつである先ほどの国家や宗教の存在までは解明できないので、脳の働きさえ解明すれば人間が分かるとするのは大いなる過ちである。

科学的に解明できることは限界があり、人間として思考するものや範囲を正しく理解したり思考したりするには、やはり哲学的に論理的に思考し、あるべき姿を志向し、ロジックを組み立てて根気づよく証明していくべきものである。


すべてを包含した世界というものは存在しない。

人間の思考は意味の場で行われている。

意味の場ごとの世界は存在していると言えるが、すべてを包含しているという状態自体を説明することは不可能であり、そのようなものを世界とカテゴライズして説明することはできないし、意味がない。


こんなことがそのまま本に書いてあるわけではないですが、マルクス・ガブリエルの言いたいことはこんなことと理解しています。

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