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ボストンから日本へ帰国するまでに

2003年 11月 28日

ああああああああああやばい

最後に書いたのは7月だ。
そして今年残りわずか。。。
8月から今までいろいろあったなあ。

ウィスコンシンで働いていたが、保証も無く困っていた。
チャットで友人と何気なく今の状況を話したらボストンにいい仕事あるよと。早速履歴書をボストンの方へ送ったらすぐ面接したいと連絡があった。
すぐにそこへ向かったが、ついでにワシントンDC周辺の友人へ会いに行った。

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3年ぶりのDC周辺。古い友人はいいなあ。飛行機で行くか車で行くか
迷った挙句車で行くことにした。今回の旅ももちろんサミーを道連れに。
サミーを預けることは出来ない。娘同様なんだからいつでも一緒。
サミー旅へ行くぞ。サミーは又かという顔でついてくる。

ウィスコンシンからDCまではまる一日。15時間かかった。
そしてDCからボストンまで8時間。I-90を使っていったら通行料高く取られたぞ。ボストン行きもね。ボストンにて2泊観光、面接を兼ねて。

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私はTLCだけ希望していたのにWSの方も面接。私はTLCのみ売込みしてWSは適当に応えた。その後、ハーバード大学へ行ってきた。
思ったよりも。。。治安的にもあまりよくない所。ボストンは私の憧れの街でもあったけど現実を見てかっがり。私の理想の街ではなかった。私は未だに私の理想の街を探している。

そしてDCに戻り2日間友人の家に滞在した後、I-70を使って通行料を
払わずにすんだが、山道がひどい。I-90の方が運転は楽。
シカゴ周辺に着いたときは渋滞に出会う。1週間のドライブ旅行だったが、車焼けしてしまった。かっこ悪い日焼け。。。左右対称にきれいに日焼けていない。 ああああああああああ

ウィスコンシンに戻って3日後、TLCの仕事が内定!
早速引越しの準備。殆どの荷物は送って、残りは車のうしろに詰め込んだ。
今回は父と一緒の為あまり後ろに詰め込むことは出来なかった。
後ろ半分はサミーが独占。といってもサミーにとっては狭かった。
今回もごめんねと。助手席には父、運転席には私。

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ボストンへついたのはいいが、TLCから用意してもらった部屋は空いていない。空いているのは地下だけ。その地下はカビだらけ。そこに寝ろっていうのか!私と父はそこに泊まらず、ホテルで泊まった。翌日、理事長に会って事情を話すと、女子寮を提供してくれた。それは生徒達が戻るまで自由に使ってよしと。となるとそれまでに住処を探さなくちゃあ。
友人の紹介でSueに会う。そこでルームメイトになることにした。
家で庭付き。サミーにはいい条件。

父はもう1週間ほど一緒に滞在する。父のためにいろいろ観光へ出かける。
が、私は車を酷使したせいか車が動かん。。。。もう一歩で父が行きたいケデネィの夏別荘を拝めたのに。。。レッカーで運び、その代金は$350.バカやロー。車のスターターが壊れていた。その修理も約$350.
ダブルバカヤローです。ルームメートが慰めてくれた。電車でボストンへ行くといいよと。こうして、1週間が過ぎて父は日本へ帰国した。

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そして、私の初仕事。わくわく。私は小学3年の受け持ち。生徒は3人。
小学3年は3人の先生で受け持っている。私は国語、算数、理科を担当して教えている。一生懸命に夢中で働いた。休日も返上して。

一応教科書はあるけど、個人別に指導するから個人別の課題を作っていく必要がある。受け持つ生徒のうちの一人がどうも気になる。
手話が分からない、まともな会話が出来ず、その生徒だけ浮いていた。
その生徒は転校生だったのだが、いろいろ事情を抱えていた。

その生徒の気持ちを読み取れるのは私だけだった為が、私だけなつく。
私の言うことは聞くが他人には聞かない。根気良く聞いてあげる事で
その生徒はいろいろ話す。表現があまり上手くない子。だからこそ、
うまく読み取ってあげないとその子は苛立つ。

いろいろストレスを抱えたせいか、ある日目が覚めたら体が動かん。
初めての体験。連絡を取らなきゃあ。2階から1階のTTYへ行くのだが
足に力が入らず、支えながらTTYまで行って休みの連絡を取る。
翌日には部分的な痛みが発生。

右腕が痛い。握れない。病院へ行っても風邪だとが私に納得いくような
診断ではなかった。1週間ほど休んでもよくならない。
MRI, X-Ray,Cat-Scan等いろいろ見てもらったが
正常であり、異常は見られず。

7年間アメリカに住んでいて日本が恋しいと思ったのは今回が初めて。
それほど弱っては気も弱ってしまう。まして、そこには新しい土地、気の許せる友はまだいないし、看病してくれる人もいない。尚更、日本が恋しい。

上司の勧めで日本へ帰ることにした。上司曰く、健康第一、そして次が仕事。ますは健康を取り戻してそれから仕事に戻って欲しいと。今の君は母が必要。いくら年を取っても母は必要だよ。家族の助けが必要なんだよ。
明日でも日本へ帰ってゆっくり休んでこいと。

上司の言葉に救われました。
いろいろ手続きをして、日本へ2年ぶりの帰国です。

サミーの手続きに出かけたら、車が壊れたぞ。ああああああああああ
今回もレッカーの世話になりました。もちろん修理代、レッカー代は前回と同じ。バカヤロー。ただ違うのは目標の出前に壊れたのではなく
目標地まで行った後だった。

ユナイデットにてサミート一緒に乗ったのだが、サミーにとって狭い席だった。そしたら、ビジネス席に座っていた客から席を譲ってくれた。
席幅がゆったりして気持ちがいいね。サミーもゆったりして気持ちがいいでしょう。

ボストンからDCへ乗り換え。DCからはANA航空。カウンターでサミーの入国手続き。席は一番後ろで2席分。しかし、席の席の間の幅はサミーには入れないものだった。事情を説明して、ゆとりのある幅をお願いしますと
前に持ってお願いしたはずなのに。満席の為できませんと。
スチュワーデスは一生懸命に席を譲ってくれる方を探したけど
あいにく。。。

幸いに通行側は2倍ほどあったのでサミーを通行側に座らせることで
一件らく。離陸と着陸のみサミーは席に座らせた。危険防止のため。

詳しいことは別の機会に書こう。

って2年ぶりに日本へ帰国したのである。

犬との暮らしはどういうものか?異文化に触れると感性豊かになれます(^^♪ワクワクを毎日あなたに届けて、楽しんでいただければと思います(^^♪