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桜の木の下で

大学受験に失敗した。
ここ1週間くらい部屋から一歩も出ていない。
何のやる気もなく、ただ自分の部屋で24時間を過ごしている。眠れない日々が続いている。いわゆる引きこもり状態。

カーテンを締め切った部屋。暗がりの中のどんよりした空気。
照明もつけずに、ただベッドで横たわっている。
何をするわけでもなく、ただ目をつぶって今までのこと、これからのことをぐるりぐるりと思いを巡らせている。
今までの努力は何だったのか…
大事な約束があるのに電車に乗り遅れて一人ホームに立ち尽くしているような気持ちだ。

カーテンの隙間から朝日が差し込む。
なんとなくカーテンを開けてみる。
暗がりの中にいた私には、この朝日がとてもまぶしい。まるで世間が私をあざ笑っているかのように思える。目をぎゅっとつぶったまま光に慣れようとした。
だんだん慣れてくると少しずつ目を開けてみる。
窓を開け外の空気を吸うと、久しぶりの感覚に全身が目を覚また。
外ではもう桜が咲き始めていた。
なんとなく外に出てみたくなった。
とりあえず、スウェットの上からジャンパーを着て外を歩いてみる。
起き抜けの顔でくしゃくしゃの頭。出るのはあくびばかり。

フラッと歩いていると、桜並木が目に入った。
向こう側から腰の曲がったおばあさんが歩いてくる。杖をつきながら一歩一歩危なっかしい感じで歩いていた。
そのおばあさんとすれ違うときに目があって、
「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
私は少し恥ずかしながらも、軽くお辞儀をしてジャンパーのポケットに手を突っ込んだ。

すると、おばあさんが振り向きざまに
「あなた寝てないでしょ」
「え? なんでわかるんですか」
「そりゃわかりますよ。顔は青白いし、目の下は真っ黒だし…昔と今とじゃ全然時代が変わったって言うけど、人は皆悩むとそういったかんじになる。
私らの若い頃の時代は、生きるか死ぬかの思いで毎日を過ごしていたねぇ。
……今のあなたを見ていたら死ぬ思いで生きているね。
でも、あなたはエライよ。自分で死のうと思ってるわけじゃないでしょ。今散歩をしているんだよね。
それがきっと良い方向に向かうよ。自分の足で歩いてきたんだから。
部屋の中に閉じこもって悪い空気ばっかり吸っていたら何も始まらない。
今外に出て、新鮮な空気を吸って頭の中が空っぽになったでしょ。
それで良いんだよ。
目に映る生きとし生けるものを見続ければ、自然と活力が湧いてくるよ。
この桜の木を見てごらんよ。少し朽ち果てているでしょ。それでも生きてるんだよ。
完璧なんて言うものはないんだよ」


そのおばあさんは、私に言うだけ言ってその場を去った。
全部お見通し…家族よりも説得力のある言葉だった。

時代が変わっても、何かしらの悩みは尽きないものだ。完璧を目指さなくて良い。何とかなる。
この少し朽ち果てた桜の木をまた来年も見に来よう。

私は、人生の先輩の後ろ姿に、涙ぐみながらありがとうを何度も心の中で言ったのだった。

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