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命の選択

私の友達で10歳違いの喜代美さんは40代で妊娠した。
その一ヵ月後、私も妊娠。
どちらとも初めての妊娠で、
お互い情報交換しながら近況を伝え合い、
情緒不安定になれば励ましあい、
日に日に大きくなるお腹を、大事に大事にして暮らしていた。

喜代美さんは、高齢出産ということもあって、ダウン症の子供が生まれるのではないか、と心配になった。旦那さんとよく話し合い、羊水検査を受けることにしたそうだ。
30代で1,000人に一人、40代では100人に一人という確率でダウン症の子供が生まれてくる。確率的に30代に比べて40代は、10倍に跳ね上がるのだ。
羊水検査は、お腹の中にいる胎児をエコーで見ながら、母体のお腹に穿刺針(せんししん)を刺して羊水を採取する。
羊水中に浮遊している胎児の細胞から、染色体の異常を診る。
まれに穿刺針が胎児へ接触したりすると、流産や死産があるのだという。
そんな危険なこともなく、無事に検査は終わった。


しかし、結果は、21番目の染色体に異常が見つかった。


その結果を大きなため息と深刻な面持ちで、喜代美さんは私に伝えた。
「私、子供を堕ろすよ」

後から知ったことなのだが、その時、喜代美さんは大きな持病があった。
“このまま子供を産み育てていく自信がない”
“私が先に死んだらこの子はどうなるの?”
自分の病気とダウン症の子を、天秤にかけざるを得なかったらしい。

初めての妊娠で、
自分も
旦那さんも
家族も
みんな心待ちにしていたのに…
どれほど悩み、どれほど自分を責めただろう…

旦那さんともよく話し合って決めたとのことで、私は、とにかく聞くことが精一杯で何も言えなかった。

私は、翌年の3月、無事に女の子を出産した。
喜代美さんは嬉しそうに、私の娘を抱っこした。可愛くてしょうがないという感じだった。
「私の子もこんな感じだったのかな」
喜代美さんは、ぽつりと言い、そのまま黙って娘を優しい眼差しで見つめていた。

時は経って、娘が2歳くらいになったときのこと。
喜代美さんが、我家へ遊びに来るというので、娘と二人庭に出て喜代美さんを出迎えた。
すると、娘がおもむろに喜代美さんの方を見て
「サクラちゃんがいるよ」と言った。
「え? キヨミさんだよ」
喜代美さんはまだ、20mくらい向こうを歩いている。こちらにだんだん近づいてもう目の前まで来ているのに、娘は、喜代美さんより後ろの方を見て指を差した。
「サクラちゃんがいるよ」と、また言ったのだ。
喜代美さんの後ろには誰もいない。しかし、娘は確かに言った。

あの時の喜代美さんが中絶した子供の霊が、娘には見えていたのか…
しかも、名前まで…

それ以降、喜代美さんとはメールのやり取りはあったものの、会う機会がだんだん少なくなくなっていった。
私が子育てに忙しいのもあったが、喜代美さんの持病が悪化したのも後から聞いて分かったことだった。

それから数年後、喜代美さんは亡くなった。

私は、喜代美さんの苦しみや悲しさを、しっかりと受け止めていなかったように思う。
その頃の私は、無知で世間知らずで、人の気持ちを深く見つめることのできない人間だったと思う。

もっと、私は言うべきことがあったのではないか…

もし、あきらめず逆に出産していたら、喜代美さんの命も生き延びたのではないか…

もう、時間を取り戻すことはできないが、喜代美さんのお腹の中に”サクラちゃん”が宿ったことは事実。
今は、天国で二人仲良く穏やかに暮らしてくれていたら、私は嬉しい。

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