見出し画像

私の母

この頃、母が
「わたしゃ、今度からみんなのことを名前で呼ぶことにした!」
と、決意表明みたいなことを言ってきた。
(どうした? 今頃?)

なんでも、突然昔のことが思い出したらしい…

それは、結婚当初にお姑さんから「あんた」と呼ばれたことがよほど悔しかったらしいのだ。
なぜそう呼ばれたかの理由は分からない。でも、それは誰でも嫌なことだと思うよな と思った。

母が結婚したのは21歳の頃。
今は84歳のおばあちゃん。
60年以上前のことを思い出して、悔しがっている。
相当強烈に印象に残っていたのだろう…

昔の嫁姑関係は家主とお手伝いさんのような上下がハッキリしている関係。親子といえども義理の関係だから、嫁はよそ者。
とはいえ、うちは父が婿に入ってくれた家なので、嫁姑関係はそんなになかったのでは?と思っているが、母にとっては、あの時、人格を否定されたような言い方をされたという「あんた」が許せなかったらしい。

その悔しい思いからなのか、家族や親戚の名前を一人一人の名前を口に出して言い始めた。
私の家族、姉夫婦、その子供たちの家族…
総勢20人くらいなのだが、全員の名前を一人たりとも間違えなかった。

84歳にしてなんという記憶力!

先月『過ぎ去りし日々』というエッセイを書いた。
この母のことなのだが、45年ぶりに仕事仲間と偶然再会をして昔話に花が咲いたという話。
これも母の記憶力に驚いた私だった。


母は、昭和13年に生まれた。
その出産は早産だった。1000gにも満たない超低体重児だったそうだ。
大人の手のひらに乗ってしまうほどの小さな小さな命。
あの時代に…しかも都会ではない山奥で、よく生き延びたものだと感心させられる。
母の生命力には目を見張るものがある。

その当時の医者や看護師には、本当に感謝している。
生まれてから予断を許さない状態が続いたであろう。
それを乗り越えて現在84歳にまで生きながらえたことは、奇跡的なことにちがいないと言えるのではないだろうか。
母が生きながらえ育たなければ、今コレを書いている私は存在しないのだから。

命ある限り精一杯生きる。
人間の底力を母の人生を通して教えてもらったように感じる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?