noteでの自分と、生身の自分

私はここでは「佐村あい」として存在している。
結構思い付きに近い感じでつけた名前だけど、気に入っている。

最近は特になじんできたように感じる。
それは単にnoteにいる時間が増えたことによるものかもしれないけど、だいぶ佐村が自分と馴染んできた。
投稿してるけど、noteに書いていると言うよりかは、佐村というフィルターを通して言っているような。佐村に話したことを、佐村がまとめて伝えてくれてるような、そんな感じ。
あとから俯瞰で読めるっていうのもあるから、私、佐村さんと似てるなーっていう錯覚が起きたりする(似てるもなにも、自分だよ)

これまで、自分の話するのが苦手で、でも誰かに話したくて。そんなことが数え切れないくらいあった。
今もそれは変わらないけど、noteに書いたら、スキしてくれる人がいて。
スキしたくなるような文章を書く人、私と同じような事を感じていたり、似た状況の人がいたりして、安心する。

きっとこれが生身でできたら、より自分と向き合えて、自分のことも愛せるんだろうなと思ったり。でも、それには時間がかかるな~、なんて思ったり。

生身の私に、私のことを知りたいって言ってくれる人が現れたとして、私もその人を信頼していたとして、そんな人に出会えたらとても嬉しいなと思う。
そう言われた時、私は直接話せるだろうか。
もしかしたら、「これが私のありのままだよ」と言って佐村あいを紹介するのかな。
私は、佐村あいなんだよな、そのまんまなんだよ。思ってること、経験したこと、ありのまま書いてる。
読んで、無理だなって思ったらきっと私といても疲弊するだけでしょ。好きとまではいかなくても、そういう人だってわかってほしい。わがままかな。

佐村あいが好きなんだよな、っていう人がいたら、死ぬほど嬉しいです。生身の私を好きと言ってくれる人がいたら、もう死んでしまう。
(私は愛に飢えているのか?)

これから何十年も続くであろう私の人生で、そんな人と出会えるか、不安と期待が入り混じっています。

出会いたいです。

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