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ヨーガ・スートラとバガヴァッド・ギーター

ヨーガと出会って体や心の変化を感じ、なんだか自分にとってヨーガが大事なものに思えて、もっと学んでみたいと思った時、多くの人が手に取るのが『ヨーガ・スートラ』だと思います。

「入門書」と思われがちなヨーガ・スートラですが、実際はサンニャーシーと呼ばれる出家修行者に向けて書かれた、瞑想に特化したテクニカルな経典です。

「スートラ」という意味が通じる限界まで言葉の数を減らした形式で、ヨーガ哲学の基盤であるヴェーダの宇宙観を一通り理解している人に向けて書かれているので、「イーシュワラ」「ダルマ」といったヴェーダの重要な概念の説明もありません。

そのような書物なので独学が難しいのはもちろん、教える人によって解釈が異なっていたり、日本でもインドでもヨーガ・スートラを本来の教えの意味で、ヴェーダの全体の宇宙観と共に伝えられる先生は貴重だと思います。

そうした背景からインドではヨーガ・スートラを学ぶ人は稀で、家庭や社会での役割を通しての心の成長(=ヨーガ)について教える『バガヴァッド・ギーター』が広く学ばれ、親しまれています。

バガヴァッド・ギーターはヨーガ哲学ではなく「ヴェーダーンタ(ヴェーダ+アンタ 終わり→「ヴェーダの結論」)」という教えの聖典に位置付けられます。

ギーターは詩の形式で書かれていますが、言葉の意味が必ずしも文字通りでないことなどもあり、やはり独学することは勧められていません。

ヨーガ・スートラ同様、先生のガイド、先生と生徒のコミュニケーションなしには、「ギーターの言っていることの理解」ではなく、「自分の知っていること、言いたいことをギーターに言わせてしまう」ことになりがちです。

バガヴァッド・ギーターは通常、シャンカラーチャーリヤという聖者によって書かれた「シャンカラ・バーシャ」と呼ばれる解説書を用いて、ヴェーダーンタの教えの方法論に従って、伝統の中にいる先生(先生のいる先生)によって教えられます。

バガヴァッド・ギーターはオリジナルのヴェーダに比べればコンパクトですが、それでも18章700の詩があり、学んでいるうちに全体像を見失いがちです。

ヴェーダの教えに馴染みのない日本人の私たちは、『タットヴァ・ボーダ』やラマナ・マハリシの記した『ウパデーシャ・サーラ』といったコンパクトなヴェーダーンタの聖典から学び始める、あるいはギーターと並行して学ぶのもよいと言われます。(やはり先生の下で。)

ギーターの勉強は森の中を探検するようなもので、タットヴァ・ボーダは森に入る前に確認する地図に喩えられます。

地図だけでは実際に森がどんなものかを知ることはできないし、地図なしに森を歩けば道に迷いがちです。

そのように一定期間、先生の下でヴェーダーンタを学んだ生徒にとって、ヨーガ・スートラはより価値を持つようになります。

オリジナルの聖典ヴェーダを知り尽くし、その教えのエッセンスをバガヴァッド・ギーターとして記した聖者ヴャーサは、ヨーガ・スートラのバーシャ(解説書)を書いています。

途切れかけたヴェーダの教えの伝統を復興し、「最も偉大な聖者」とも称されるシャンカラーチャーリヤは、ヴャーサのヨーガ・スートラ解説書のさらにその解説書を書いており、「八支則のヨーガ」は瞑想のための有用な手法としてヴェーダーンタの教えの伝統にも取り入れられています。

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