#14 旧い習慣の抵抗
ナマステー、さみです。
本日もお立ち寄り頂きありがとうございます。
現在、月の三分の一〜半月程度を愛知のさとこさんの家で主夫として(笑)過ごしており、その間はhaanoやさとこさんのクラスでアシュタンガヨガを練習させてもらっています。
DVDでアシュタンガを始めたこともあり(笑)、はじめの二年間ほぼ自己流で練習してきた結果、正しい身体の使い方を覚え直すのに今とても苦労しています。
筋力や柔軟性で何となく形にしてしまっていたアーサナで、それらを使わずバンダで正しくポーズを行うようにするのですが、これが大変。
できると思っていた事を新しいやり方で一から組み立て直すのはなかなかフラストレーションが溜まるし、気を抜くと昔のやり方でしのごうとしてしまいがちで、その度に「バンダバンダ…」と頭の中でマントラを唱えます(笑)
このように無意識に旧いやり方に引っ張られてしまうのって、考えも同じなんですよね。
ダルマやカルマヨーガといったヴェーダの教えや、「この身体や考えが私ではない」というヴェーダーンタの話題は、私たちほぼ全員にとって既存の価値観とは異なる知識です。
少なくとも現代の日本において、家庭や学校で教えてもらえる話題ではないと思います(笑)
私たちの心(考え)は安定したがる性質があるので、そうした新しい思考パターン・考えの価値構造を定着させるのは簡単ではありません。
ヴェーダを学んで「貢献者」になることが大事と思っても、日常生活に戻るとすぐに従来の「消費者」的マインドで考えてしまったり、甘いものやお酒を控えようと決心しても、心は食べてよい理由、飲んでよい言い訳を巧みに見つけ出し、考えの私は簡単に説得されてしまいますw
谷戸先生はオンラインクラスで、旧い思考習慣と新しい習慣のせめぎ合いを綱引きに例えていましたが、旧いチームには優秀な選手が揃っているそうです(笑)
怒り、執着、嫉妬、怠け心など、パッと思いつくだけでもレアル・マドリード並みにスター揃いですw
監督は「無知」といったところでしょうかww
旧い習慣に対抗するには、新しい習慣チームもいい選手を揃え、育てる必要があります。
感謝、受容、許し、祈り、与えること、などです。
はじめは旧いチームに圧倒されてしまいますが、新しい価値を行動に移し続けるうちに、「先月は1勝9敗だったのが、今月は2勝8敗になった」というように、少しずつ確実に新しい価値観は考えの中で力を持つようになります。
全くできなかったウッティタ・ハスタ・パーダーングシュターサナが、バンダを意識し続けたらいつの間にかちょっとできるようになるように(笑)
知識を得たからといって突然聖者になれるわけではなく、日々の行い・役割を通じて自分の中の聖者的な性質を育んでいくことが学びの本質なのだと思います。
そのためのダルマ(イーシュワラ)であり、カルマヨーガです。
聖者というのは選ばれた特別な人ではなく、誰しも「90%愚者で10%聖者」程度の場所から、経験から学び、穏やかさ、公平さ、思いやりといった成熟した大人としての性質を育てることで、いつしか聖者のように見える人に成長するのだと思います。
その過程にいる人をヨーギーと呼ぶのですが、ヨーギーと聖者の間に「ここから聖者ね!」という線引きがあるわけではなく、気がつけば、いつのまにかそうなっていくのでしょう。
みんなが聖者を目指さなくてもいいですが(笑)、心が成熟することで一番得をするのは自分自身ですし、ヨーガを生活に取り入れる上での目的地、全体像として考えに留めて頂ければ幸いです。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
namaste.
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