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小さくて甘いストッパー

あぁ、またやってしまった。
夏の蒸し暑いキッチンで、買い物袋から中身を取り出して、並べて、眺めて、ため息をついた。

一人暮らしで凝った料理もお菓子も作らない、どちらかと言うとキッチンにいる時間を短くしたいタイプの女なのに、疲れた時にスーパーに行くと取り憑かれたように果物を買ってしまう。なぜなのかは自分でも分からない。今回は旬の桃をみっつも買っていた。先月は残業が少なめだったというのに、高級品の果物を、みっつも。


何か特別辛いことや悲しいことがあったわけではない。ただ、明日も同じ時間に起きてなんとなく働いて、ご飯を作って食べてシャワーを浴びて寝る、という一連のタスクを繰り返すのが嫌になる時がある。
終わりの見えない仕事はみんな嫌がるのに、終わりの見えない人生は当たり前のように受け入れていて不思議だ。

気分の落ち込みを何かのせいにできたらいくらかマシだったのに、残念ながら悲しいくらい幸せだ。おおむね健康で、職場の人間関係も特に問題なく、ピンク色のアプリで確認しても、次の生理まではあと2週間ある。何のせいにもできないと、悪者を自分の中に見つけるしかなくてうんざりする。
泣いたらスッキリするんじゃないかと思って目の奥にぐっと力を込めるけど、ドライアイ気味の瞳は乾いたまま。悲しいことがある訳ではないので、当たり前と言えばそれまでである。

傍から見たら、自分は"楽しそう"な人間だと思う。来月には友達と旅行に行く約束をしているし、今年分のふるさと納税も始めているし、通販サイトで発売早々売り切れたブラウスの再入荷通知だって登録している。来たる未来に向けた行動を、前向きな形で重ねている。

でもね、それはそれ、これはこれだとわたしは思うよ。


家から駅までの道には歩道橋があって、帰り道には欄干からびゅんびゅんと駆け抜ける車たちを眺めるのが習慣になっている。
それぞれどこに行くのだろう。わたしは、どこに向かうのだろう。向かいたい場所なんてないのに、なんで健康に気を配りながらちまちま生活してるんだろう。なんでよく分かんないどうでもいい会議の資料とか作ってるんだろう。本当は、とっくに全部めんどくさいから全部やめちゃいたいのに、なんで、なんで、なんで、もう、

あ、でも、冷蔵庫の桃、食べないとだめになっちゃう。

ちゃんと帰らなきゃ。帰って、手洗って、着替えて、昨日の夜洗わなかったお皿、洗わなきゃ。

家に着いて、手を洗って着替えてお皿を洗った後、冷蔵庫から宅配ピザのチラシにくるまれた桃を手に取る。ネットで調べたら、桃は新聞紙に包んで野菜室で保管しましょうと書いてあったけれど、新聞紙も野菜室のある冷蔵庫も、一人暮らしの家にはない。

ベストな環境じゃなくてごめんね、と心の中で謝りながらチラシから取り出し、水で洗って、傷付けないよう優しく皮を剥くとキッチンは甘酸っぱい匂いになる。正しい食べ方なのか分からないが、真ん中の種を避けて果肉を切り分けお皿に載せる。手でひと切れつまんで口に入れると、瑞々しくてとても甘い。ちょうど食べ頃だったみたいだ。

キッチンに立ったまま種の近くの部分にがぶりと噛み付く。ぢうぢうと吸うと果肉より酸味の強い果汁が口の中いっぱいに広がって、お行儀は悪いし歯に繊維が挟まるけど、生きてるって感じがする。
お皿に取っておいた果肉は大事に食べようと思っていたのに、あっという間にぺろりとたいらげてしまう。数なんて数えずに全部独り占めできるのは一人暮らしの特権だ。


冷蔵庫にはあとふたつ、わたしなんかよりよっぽど繊細な果物がチラシにくるまれて眠っている。自分の生活にも仕事にも興味はないけれど、この子たちをだめにしちゃいけない。口の端から垂れた果汁を拭って、先ほどよりかはいくらか軽い気持ちで「お風呂入ろ」と呟いた。

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