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きっと隠し味は友情

料理が好きな夫は時間がある日にちょっといい出汁を使って味噌汁を作ってくれる。それはもちろん美味しい。
でも、こんなこと言ったらバチが当たるんだろうけど、具材の彩りまで考えられた丁寧な味噌汁を飲みながら、夜中の3時までダラダラ飲んだ次の日の朝、気持ち悪いとか頭痛いとかむくみヤバいとかうだうだ言いながら、たろちゃんと飲むインスタントの味噌汁を恋しく思っている私がいる。


独身時代に戻りたい訳ではないし、当時と今、どっちが幸せかと聞かれれば今の方が幸せだと答えるだろう。
最高の友達、たろちゃんと一緒にいる時間は幸せなんて高尚なものではなく、ゆるゆるで、だらだらしていて、だめだめだった。そして最高に楽しかった。
楽しすぎて、この時間が突然終わるのもだらりと続くのも怖くて、常にうっすら不安だった。"幸せ"と"楽しい"は別物だ。
楽しさに酔ったまま、いつまでもだめだめなまま歳を重ね、気がついたら中身だけ変に幼いおばさんになってしまう気がした。

一度、たろちゃんとふたりで宅飲みしている時にそんな話をしたことがある。
酔っ払うと素面の時より速度がゆっくりになる私の話を、たろちゃんはお気に入りのクラフトジンのソーダ割を飲みながら、黙って聞いてくれた。彼は聞き上手なのだ。まとまりきらない話の末に、
「周りと比べて自分が幼く見えて不安になることない?」と聞くと、
「幼いってことはなくない?ちゃんと俺たち中身もしっかり年取ってるって。数時間前、上司と部下に挟まれて辛いとか、しっかり中堅っぽい愚痴言ってたじゃん」と笑って言ってくれたけど、私の言いたいことは伝わっていない気がした。

そういうことじゃないんだよなぁ。
たろちゃんと同じく大学のサークルの同期のミナミが「去年子どもが生まれてから自分の時間が全然取れなくて美容院すら行けない」なんて言っている中、私は美容院も仕事の会食も友達との飲み会も趣味のピラティスも好きなアニメのイベントも行って、遊びすぎて疲れてソファで寝落ちしたりしている。
ミナミは子どもまでお風呂に入れているのに、私は自分の生活すら管理しきれない。

いつも金曜の夜はたろちゃんとうちの近くで飲んで、くだらない話で盛り上がっているうちにたろちゃんの終電はなくなって、交差点のセブンイレブンで買ったソルマックを何回飲んでもまずい、と言いながら飲んで、寝静まった商店街を抜けて一緒にうちに帰る。
そりゃ楽しい。楽しいに決まってるけど、きっといつまでも続けていいものじゃない。酒を飲みすぎた後にしか飲まないソルマックは、だめな大人の味がする。

同期のアヤとのランチはそんな遊び方をした翌日だった。気合いで起床、着替え、化粧を乗り越え、ヘアアイロンを温めている間に、すやすやと眠るたろちゃんを叩き起こして追い出し、なんとか間に合う時間の地下鉄に滑り込んだ。

アヤは一昨年、会社の1つ下の後輩と2年の交際を経て結婚した。部署が同じだったこともあって以前はよく飲みに行っていたが、私の部署異動や彼女の結婚もあって、最近はもっぱらランチで会うことが多い。

3ヶ月ぶりに会うアヤは顔に少し疲れが浮かんでいた。先週まで旦那さんの両親が体調を崩しており、彼の実家のある埼玉と東京を行ったり来たりしていたのだと言う。
彼女が「今日は久々にゆっくりランチができて嬉しい」と心底嬉しそうに言うものだから、昨日飲みすぎてちょっと二日酔いなんだよね、とは言えず「今ダイエット中だから野菜多めのメニューにする」と嘘をついた。

アヤと解散して、地下鉄に揺られながらぼんやり結婚したいなと思ったことを覚えている。結婚して安心したい。自分が年相応に落ち着いたのだという確証を得たい。いつまでも子どものように目先の楽しさだけ求めてしまわないように。


たろちゃんとの関係を話すとみんなに変だと言われる。
いくら大学のサークルの同期で、在宅勤務をしている私の家とたろちゃんの職場が歩ける距離で、ふたりともアニメ好きだと言ったって、付き合ってもいないのに毎週のように一緒に飲んでは、ほぼ毎回私の家に泊まったりするのはおかしい、と。

同期の結婚式で久しぶりに会った時に近いエリアに住んでいることが分かり、在学中よりもぐっと距離が縮まった。お互い学生時代の恋人とは別れていて、気兼ねなく遊びに誘えたのもひとつ大きい要素だったかもしれない。

神に誓えるけれど、どんなに酔っ払ってもたろちゃんとの間に男女の何かがあったことはなかった。

歳の近い姉2人による圧政の中育ったたろちゃんは頼りがいはないけど優しくて、年子の弟とのケンカに揉まれて育った私はお淑やかではないがしっかり者だ。
女子グループの中だと姉御キャラになりがちな私は、女子ほど繊細でもなく、嫌になるほどガサツでもなく、ほどよく大らかなたろちゃんといる時が一番気を遣わずに済んだ。

私たちの間にときめきはなくても居心地は最高だった。
話があって、気心も食の好みも知れている彼と結婚したら楽だろうな、と想像したこともある。
でも、どうしても、たろちゃんとは最高の友達のままでいたかった。だから結婚相手は別の人を探す必要があった。


周りに黙って始めたマッチングアプリで出会った人と付き合い、半年で結婚を決めた。思ったよりもとんとん拍子に進んでびっくりしたが、思い返せばもともと運はいい方だし今年のおみくじは大吉だった。

たろちゃんに結婚を決めたことを報告した日はやっぱり金曜日で、二人とも好きなアニメのシーズン2の第3話を見終えたタイミングで口火を切った。
「たろちゃんあのさ、私来月結婚する」
「は?」
「実は、マッチングアプリやってたの、最近。で、半年付き合ってる人がいて、その人と結婚することにした。来月」

気持ちが焦って倒置法だらけになってしまった私の告白を聞いた時のたろちゃんの顔は、鳩が豆鉄砲を食ったようという表現がぴったりだった。
「え、こんなに会ってるのになんで何も言わなかったの?ていうか知らなかったからしょっちゅうサシで飲んでるけど大丈夫なの?」
ここですぐに相手を気遣うところがたろちゃんらしいなと思う。

「それは大丈夫。私が黙ってたんだし。なんか付き合い長すぎて、照れ臭くて言えなかったんだよ。うまくいくか分かんなかったし。今も分かんないけど」
「縁起悪いこと言うんじゃないよ、でもよく半年で踏み切ったね」
「うん、年齢、向こうが3歳上なんだけどね、お互いいい年だし、あんまり時間かけても微妙ですねってなって」
たろちゃんはふーん、とかそうかー、とか言いながら2本目のビールを開けた。

「相手どんな人?アニメ見る人?」
「見ない。趣味は登山と野球観戦です、みたいなアクティブな人だから、趣味の話は全然合わない」
「へぇ」
「ちなみにお酒もほとんど飲まない」
「それは、ほんとにうまくいくか分かんないな」そう言って彼が笑うと、ちょっとこわばっていた空気がほぐれて安心した。

「でも、うまくいくことを祈ってるよ」
「ん、ありがとう」
「でも、こんだけよく遊んでたから寂しくなるな」
「別に、いなくなる訳じゃないよ」
「楽しい独身の世界からいなくなるじゃんか。いずれ家も引っ越すんでしょ?」
「それはそうだけど、同じ東京だよ。まだいつになるかも分かんないしエリアも決めてないけど、きっと今よりちょっと遠くなるだけ」
「俺たちがつるむようになったのって家とか職場が近かったからじゃん。そこはでかいよ」

何と返せばいいか分からず、珍しく会話が途切れて、時計の針の音が響く。22時37分。

「あ、おめでとうって言ってないわ。おめでとう、マジおめでとう」
「取ってつけたみたいだけど、ありがとう」
「斎藤と遊ぶの、めっちゃ楽しかったよ。ありがとね」
「なに、その餞別みたいなセリフ」
「だってもう二人で遊べなくなるじゃん」
「え、今みたいにしょっちゅうは無理としても、たまには遊ぼうよ」
「一応俺男だからさ。浮気って言われるよ」
「浮気って、大げさな」
「斎藤さ、そのへん覚悟して結婚したんじゃないの」
「覚悟って?」
「俺と二人で遊べなくなる覚悟」

呆れたような表情をされたので、少しムッとして返す。
「たまになら遊べるでしょ。夜中まで飲むとかはだめだろうけどさ。実際、私結婚した同期と休みの日にランチ行くし、スプラトゥーンもやってるし」
「それって前話してた元バンギャの女の子じゃないの?」
「そうだけど」
「同性同士とは話が違うじゃん。俺たちみたいに男女でピュアな友情が成り立つってかなりレアだし、そういうの信じない人も多いよ」
「まぁ、ミナミとか未だにあんたたちほんとに何にもないの?って聞いてくるけど。でも、うちらほんとに何もないじゃん、ただの友達じゃん」
「そうだけどさ、それを周りに信じてもらう術がないってことだよ」
「…なんか、つまんない世の中」
「時代を先取っちゃってるんだよ、俺たち。もうちょっと待たないと、世の中が追いつくのを」

世の中を待ってる間に私に子どもができたり、たろちゃんが結婚して子どもができたりしたら、落ち着いた頃にはもうおばさんとおじさんじゃん、とは寂しくて言えなかった。歳取っちゃったら、遅くまで飲み歩いたりオールナイトで鑑賞会したりできないじゃん。
最高の友達のままでいたいから、友達でいるために友情以外の繋がりを持ちたくなかったのに。どっちにしても結局友達ではいられないんじゃん。

いつもはうちに泊まっていくけれど、その日たろちゃんは終電2本前の電車でしっかり帰っていった。

翌朝、白湯でマルチビタミンのサプリを飲んだ後、ストックしているインスタントの味噌汁を飲む。昨日は二日酔いになるほどたくさん飲まなかったから、いつものような出汁が全身に染み渡り、「うまっ」と声を漏らさずにはいられない感覚は、味わえない。

昨日の彼の呆れたような顔が脳裏に浮かぶ。「結婚したってさ、いいじゃん気にせず遊ぼうよ」と言ってほしかったけど、そんなことを言うタイプだったらここまで仲良くならなかった気もする。
「つまんな」と呟いて、溶け残った味噌が底で固まる前に茶碗を洗った。


「にしても、メグがスピード婚とはねえ」
アヤが楽しそうに言って、アラビアータを頬張りながら続ける。
「私、てっきりよく話に出てくるサークルの同期くんとくっつくと思ってたよ」
「だからー、たろちゃんはそういうのじゃないって何回も言ったじゃん」
みんなすぐそういうこと言って、前時代的すぎるよ。早くうちらに追いついて。という言葉と一緒に、しらすのペペロンチーノを飲み込んだ。

食後のティラミスが出てくる頃にはお祝いモードはすっかり冷めて、アヤとの会話はいつも通りのくだらないものになった。いつもと違うのは私の隣の椅子に結婚祝いのペアグラスが置いてあることくらいだ。

「うちの旦那さ、ままどおるってお菓子あるじゃん、有名なお土産の。あれ大好きで。最後の晩餐も、デザートはままどおるがいいんだって」
「甘党なんだ、かわいいね。福島出身だっけ?」
「ううん、三重」
「え〜そこは赤福じゃないんだ」
「私はままどおるより赤福派なんだけどね。それこそ最後の晩餐の締めでもいいくらい好き。メインは鰻ね。メグは?何がいい?」
「最後の晩餐?なんだろう」
好きなもの、美味しいもの、もう一回食べたいもの。
「あ、分かった。私はね、めちゃくちゃ飲んだ後のインスタント味噌汁がいい」


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