記録をのこすということ

中学生の頃は毎日日記を書いていた。

けれどあの頃のことはよく覚えていない。

吐き出すようにノートにぶつけて、忘れたいような感情を毎夜リセットしていた。

ずっと忘れたくないような焦燥感、そんなキラキラした思い出も中にはあったのかもしれないが、この辺のことはもう少し落ち着いてから考えよう。

記録をのこすことの意味を見失った大学〜社会人

断捨離ブーム、生前整理、終活、、、先のことばっかみてたんかな。単純に書き記す余裕がなかったんかな。だんだんのこすことに意味を見出せなくなっていた。

それから当時ちょうど、ミクシィが大流行していて、公私の使い分けが出来ずに、鬱日記とか書いてるかまってちゃんになったり、それに気づいて「恥っず!」となってから、ますますのこせなくなっていった。

デバイスとしても、アナログとデジタルの狭間を生きた時代だったような気がする。

星の王子さまに出てくる大人たちみたいに、どうやって残そうか、その方法を考えてるうちに時間が経ってしまった。

そんなもろもろの要素から書き記すことから遠のいていた。

そしたら自分がとっても薄っぺらくなった。(きがする)


インスタグラムやツイッターでみんな好きなこと言える時代。

リテラシーやルールの問題はあるけど、自分を整えるために吐き出す間口が広がったのはいいこと。

2018年ごろからは、単純に呟いたり、吐き出すんじゃなくて、ちゃんと伝えたいって思う人が増えてきたんじゃないかと。それがnoteの流行にも繋がってるのかなと。

コンテンツに振り回されるんじゃなくて、世の中が、そろそろ地に足つけて見直そうとしてるような気がしてる。


だからってわけじゃないけど、私も一旦、落ち着いて考えようと思う。

そしてそれを記録に残そうと思う。


理路整然としてなくても、テーマなんて定まっていなくても、私が興味あんねん。っていう軸で続けてみようと思う。

そんなはじまり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?