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キッチンにはハイライトとウイスキーグラス

先日、従姉妹のお姉ちゃんが結婚した。

彼女は数年前に父親を亡くしている。

私にとって伯父にあたる人だ。

彼は煙草とお酒をこよなく愛する人で、祖母の家でもある彼の家の台所には、

角ハイボールのでっかいボトルと、テーブルには煙草が、いつもあった。

加えて彼はとても厳格な人で、妹の子供(つまり私)だろうと容赦無く叱る人間だった。

親戚みんなで、夜ご飯を食べた日のこと。

3歳くらいの私は、なぜかその日、氷砂糖と言う存在を知り、

「こんなうまいものがこの世にあるのか!!」といった具合に

母に隠れて、やさしい祖母に甘えては一粒ずつそれを口の中で転がしていた。

晩御飯が近くなり、台所が慌ただしくなる中、私は懲りずに祖母に「こおりざとう、ちょうだい」といっていた。

たぶんすこし困った顔をしながら、祖母が与えようとすると、

「こんな時間から何食べよんや!」

怒号が飛ぶ。

それが自分に掛けられている言葉だと理解するのに数秒を要するほど、私は親以外の人間から叱られることに慣れていなかった。

恐れと驚きと恥ずかしさと、祖母を困らせていたのだと知った申し訳なさで

私はわんわん泣いた。ごめんなさい。

以来、氷砂糖はちょっとしたトラウマ。

伯父の記憶の中でいちばんに残っているのがそれ。


二番目は、冒頭で話した従姉がうちに泊まりに来たときのこと。

小学生くらいだったか?時期は曖昧だけど、

ある日従姉が泊まりにきて、一日中一緒に遊んでいた。

夜になって、いよいよ寝るぞとなったとき、なにやら不穏な空気に包まれる。

従姉はさみしくなって、いえに帰りたいと泣き出したのだ。

母は伯父に連絡をし、すぐに迎えが来た。

例のコワイ伯父だ。

迎えが来ると、静かにしゃくり上げながら彼女は帰っていった。

日がな一日、あんなに笑って遊んでたのに、やっぱりおうちがいいのかなぁ、なんて

いとこのおねえちゃんは、おっちゃんのことこわくないのかなぁ、なんて

今思えばとんちんかんなことを思っていた気がする。

彼女にとって大好きで、安心で、帰るべき場所はそこしかないのだ。


そんな伯父が亡くなった。癌だった。

参列した葬儀での、従姉の顔は、よく覚えていない。

何もできないくせに勝手に悲しみにつぶれてしまいそうで、

気づかないふりを、していたのかもしれない。


彼女は最愛の父に、花嫁姿を見せてあげることができなかった。

いまどきそんな。と言われるかもしれないが、

同じ「娘」というポジションから考えて、

みせてあげたかっただろうな、

人並みの、父としての幸せってやつを、味合わせてあげたかっただろうな、と想像する。


豪快に酒を煽り、歩く道には煙草の匂いを漂わせ、

誰の子だろうと悪いことは悪いと叱る、

そんないとしい伯父は、彼女の最高の父親だった。


わたしは今どんな感情でこれを書いてるんだろうか。

誰に向けてかいているんだろうか。

わからなくなってくるけれど、

ひとどころに収まりきらなくて、吐き出すようにつづる。


姉ちゃん、おめでとう。こころから。

おっちゃんもきっと、いや必ず、見ているよね、

喜んでくれてるよね。


全ての人から祝福されるべき、彼女の幸せに、ウイスキーで乾杯しよう。

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