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べつに優しくない。


うまくいかない。
対人関係、なかでも異性との友人関係の構築が、うまくいかないのだ。


憤る。


うまくいかないケースばかりだからこそ、今、なんのもつれもなくただ至近距離で仲良くしてくれている数少ない異性の友人には、本当に本当にほんとうに感謝している。
大切にしたい。そしてどうか、このままで。


そうではなく、うまくいかない場合のとき、何が起きているのか。

親しくなってくるにつれて、なぜか変な方向に歪んだ矢印が、相手の側に生まれてしまうことばかりなのだ。

というのはつまり、「私になにかしらの役割を求める」というベクトルが生まれてくる、そんな感覚だ。

例えばその求められる役割とは、ときに’癒やし’であったり’寄りかかる場所’であったり、極端なときは’生きる理由’であったり。
しかもその程度が甚だしい。線引きを誤っている。踏み越えてくる。私とあなたって、なんだったっけと言いたくなるくらいに。異性の人間にかぎっていつも、そうだ。どうして。



私を癒やしに使うな。それは搾取じゃないか。そのことに気が付かないのか。そう言いたい。
私はあなたの癒やしでも帰る場所でもなんでもない。私は私だ。
私は私のために存在していて、あなたのためになんか存在したことはこれまでに一度も無い。これからも、ない。仮に今後どんなに親密になろうと、恋人になろうと家族になろうと、それは変わらない。
だからそういうモチベーションで「会いたい」「必要だ」と言われても、全然会いたくなくないし、要らない。



それに、友人に癒やしとか、生きる意味だとかそんな重たすぎる役割を勝手に背負わせるだろうか?私は背負わせない。
友人だけじゃなく、家族や恋人にもそんなもの見出さない。
なぜなら、そういうものは自分の中にのみ見つけるものであり、他人に見出すようなものじゃないから。
それに何より、相手に尊重があるからだ。尊重している相手に、そんなに勝手な役割を、自分のエゴばかりを、押し付けないだろう。
だからそんな押し付けがましい感情や態度を向けられると、「君ならぼくの幼さを包みこんでくれるよね?それでも優しくしてくれるよね?」と言われているようで、腹が立つのだ。そんな暇はこちらに少しもない。

私は、人間を性別で分ける気はさらさらないのだが、あなたがたが性別で分けた上で私をそういう相手に選んでいそうなので、ひとつ言いたい。
私は同性の友人にはそんなことをされたことは一度もない。異性でも、してこない人はたくさんいる。それなのになぜ、あなたがたは私にそれをするのか。甘えでは? 甘え自体は悪くないとして、甘えたいならまずは家族を頼ってみてはどう? それがだめなら、あなたのインスタによく出てくる、あなたと同じ性別の、私なんかよりもっと仲の良さそうなそのご友人を頼ってみては?

本当に順番や距離感を間違っている。どうして友達のままいさせてはくれないのか。



極限につらいときは、私も信頼のできる限られた人に話しをするかもしれない。だけどそんなに日頃からベタベタと、自分を癒やしてくれる存在として他人を見なしたりだとか、まして生きる理由にしようだなんて思ったことはない。話が違う。
友人が心から悩んでる時にはおなじく力になりたいが、あくまで私が彼らを救うだなんて全く思ってもない。彼らを最後に救うのは、彼ら自身だからだ。私という人間が他人に及ぼせる影響を信じ込むだなんて、傲慢すぎる。この考えは、私なりの彼らへの「信頼」だ。彼らが、彼らの力を持って生きていける人間だということへの。

というかそもそも、「求める」という事自体がいかなる関係値においてもナンセンスだ。(政治やビジネスは別)
求めることは、愛(友愛)の本質か?私はそうとは到底思えない。
求める心は愛ではなく、欲望だ。欲望とは、自分だけが可愛くてのみ生まれる心だ。そのとき欲望の対象とする相手はすなわち、消費の対象となる。
相手のことは消費したい、自分のことはかわいい、そんな気持ちで結ばれる友人関係はめちゃくちゃに非対称だし、そんなの友人ですらない。



『あなたがいなくなっても、ずっと話してたりずっと存在を感じてたりしなくても、(人として)好きと言ってもらったりしなくても全然だいじょうぶだけれど、
いてくれたら嬉しいしあなたの言葉は好きだし話したいことはたくさんある。』
これが、「大切」で「すき」ということなんじゃないのか。「愛」(友愛)なんじゃないのか。

こまめに電話を求めてみたり、返信がないと返信を求めてみたり、頻度を保って会いつづけることや、同じくらいの温度感で会いたいと思ってくれている状態を求めてみたり。はたまた私がそうではないのだとわかったときに突き放してしまったりするのは、まったく「大切」にしているということでもないし「愛」でもない。ただの「虚栄心」だ。
情けないし、そんな感情を向けてくるあなたとは、付き合いきれない。


あなたもそれに気づかずに「大切だからこその、思い入れが深いからこその感情だ」と思いこんでいるだけで、全然わたしのことを人として大切になんか思ってないし、使い込もうとしているだけだよそれは消費の欲望だよと、こいつにはエゴを向けても大丈夫だと、ぼくの虚栄心を満たしてくれるはずだと、私のことを舐めているだけだよと、言ってやりたい。
そう、私のことを舐めていることに、はやく気がついてほしい。
そんな言葉を向けたら、本人たちは驚くかもしれないが、私にとっては全くそうなのである。



そう考える私は冷たいのだろうか。
そう、冷たいのかもしれない。冷たい人間関係しか、結べないのかもしれない。
それならそれでいい。
私はべつに、優しくなんかない。自分の信条を犠牲にしてすべてを包み込むような、優しい人間なんかじゃない。
自分の尊重したい信条やスタイルや人間だけを尊重するような、狭い人間だ。だからすべてを受け入れている暇はない。
みんな私を、誤解しすぎだと思う。



最近また、こんなケースが重なって息が詰まったので、怒りに任せて殴り書きをした。



みなさんは、友人とは何だと思いますか。どんな付き合い方をしますか。わたしに教えて下さい。






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