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2023/08/24 DOOM

昨日と今日は少しDOOMになっていた。
この2日みたいに起き上がるのがしんどかったり外出が難しくなると自分はちゃんと鬱なんだなあと変な気持ちに納得する。
この先自分の病気が綺麗さっぱり寛解することは多分ないし、こんな感じで元気な時もしんどい時も緩やかに繰り返して季節みたいに生きていくんだと思う それでいいんだと思う。

DOOMについて
さめのには好きなバンドがある。

家主っていうバンド。
あぶれ者たちのロックバンド 知ってる人は知っているし、知らない人は知らない。多分知らない人の方が多いバンド。
何が好きかって言葉では説明しづらいけど、大学ぼっちの頃この人たちの歌を聞いた時ああ自分はこの人たちなんだって思った。

希望を歌うわけでも絶望を歌うわけでもなくて、ただ繰り返す日々を、生きてる今の生活を歌ってくれる。それは秋の郊外のニュータウンを抜けた時の何もない原っぱのような、特別なものは何もないけど自分はここで生きてきたし、今もこれからも生きている その土地にはきっと自分達にしかわからない寂しさやあたたかさが詰まっている。

そんなバンドの人たちがよく使うDOOMって言葉が好き。
DOOMはこんな意味みたい。いいねえ

DOOMって素晴らしい

さめのが22歳くらいのころ、周りのみんな大人になってしまって、それは決して綺麗なものじゃなくてでも、みんな立派に働いていて、それが大人になるってことなのかなって悩んでいた。だから自分も“きっといつか忘れてしまう”今の景色を描こうとした。

その頃と比べたら自分は大人になったしタバコも吸うようになったしちょっとずるくなって生きやすくなった。絵の色合いも描く対象も変わった。変わるものもあるし変わらないものもある。人生は常に今の自分が死に続けて変わり続けるものなんだと思う。
そんな自分をコブおじ(家主のボーカルの1人)達の歌は肯定してくれる。自分もそんな絵を描いていきたい。

秋の郊外のニュータウンのような、特別なものはなにもないけど、そこで自分は生き続けていく

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