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「ついつい話してしまう」が理想的

人に話を聞くときに、相手の想定より多くを語ってもらってこそ意味がある。

そのため、尋ね方には細心の注意を払っているつもりだが、それでもやはり至らない部分があり、ICレコーダーを聞き直しては反省といった毎日だ。

どうすれば、相手は話してくれるのだろうか。

私の場合、まずその場を楽しくすることに意を注ぐ。取材と言えば、どんな方であれ少しは緊張されるので、私の方からよく笑うようにして場を和ませ、相手のバリアをほどくようにする。

そして相手が通常モードになれば、今度は私という人間を信頼してもらう必要があるので、真摯に話を聞き、一生懸命メモをとる。これは何も演技ではなく、メモこそ命なので、結果的にいつも全力投球になる。

その上で、気の利いた質問、私ならではの尖った視点、相手の知らない世界の提示ができればベスト。仕事ならそこまでするのが当然だが、気の利き具合、尖り具合、相手の知識はさまざまなので、ここでよく私は失敗する。たまに成功もする。

さて、なぜこんな話をしたかというと、先日、あるイベントで一緒になった70代男性に、私の来歴についてあれこれ聞かれる機会があった。

しかし男性の質問は、ただ気分が悪く、質問内容も不明瞭だったので、私は当初から真摯に答えようという気を失っていた。

なぜ気分が悪いのか。それは私の選択を端から評価する気がなかったからだ。「どうして○○したのか」という種の質問はつきものだが、その「どうして」に軽蔑の色がみえた。

見下したいがために質問しているようにも受け取れ、甚だ不快だった。

そこで私は「必要以上は答えない」と決め込んだのだが、その薄い回答がお気に召さなかったのか、男性も次第に気分を害し、さらに嫌な質問が来るといった悪のスパイラルに陥った。

正直最悪だったが、私もこんな質問を取材相手にしてはいないかと省みる機会にはなった。何でもプラスにせねば。

他人の家に入るのに許可がいるのと同様に、相手の心に入りこむにも許可がいる。互いに気分良く話せる環境づくりが、私の仕事なのだと改めて思った。

「あの人には、ついつい話してしまう」と言われるために。

#日記 #取材