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他人の人生を引き継ぐとは

横で食事をする主人が、もし別人だったら。それを結婚前に知ったなら、一緒になっていただろうか。

平野啓一郎の最新作、「ある男」(『文學界』6月号、文藝春秋)を読んだ。noteでも公開されているが、一気に読みたかったので、久しぶりに文芸雑誌を買うことにした。雑誌は表紙が柔らかく、読みにくいのが難だが、いち早く、お手ごろに新作に触れられる点は良い。掲載されている広告も落ち着いていて良い。

小説は、亡くなった夫が名乗っていた名前は嘘で、彼は別人になりきって生活していた、というところから始まり、現実を受け入れられない妻や子供、調査を依頼された弁護士を軸に話は展開する。

「愛にとって、過去とは何だろう」という難しいサブタイトルが付いているが、他人の人生を引き継いで、歩むという、一種のファンタジーを思わせつつ、ミステリーとしても十分楽しめる。

引き継ぐ人がいるのなら、捨てた人もいるわけで、ではなぜ、彼らは自分を捨てたのかという背景には、排他主義が横行する現在の日本に対する憂いが読みとれる。よく取材されて書かれている。

そして、登場人物たちの人生を同時並行的に描き、彼彼女らの心情をあたかも経験したかのような現実感で描く表現力には、改めて強く引き込まれた。

小説の最後には一定の結論が得られるが、だからと言って「良かったね」とは思えない。社会の闇の深さがずっしりと心にのしかかってくる、そんな作品だった。

#ある男 #平野啓一郎