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『「山路を登りながら、こう考えた。」なんていう余裕などない』の回

夏目漱石の「草枕」の冒頭は「山路を登りながら、こう考えた。」といった一文で始まる。この冒頭文に続いて書かれている生きること、そしてそれに付随する芸術に関する考察は非常に素晴らしく、何度読んでも感動させられる。がしかし、実際に山を登っているとき、こんなことを考える余裕などない。ただただしんどい。

大学生になり、高校生のころにしていた部活というものがなくなると、こうも気軽にできなくなるかというほど、運動をしなくなった。何をするにも場所代がかかるし、人数も集まらない。かといって、この年齢でシンプルに鬼ごっこのように走り回るのは恥ずかしい。そして、やっぱり運動をしなくなると、なんだかモヤモヤしてきて体を動かしたくなってくる。

そんなとき、思いついたのが山登り。山登りはお金もかからないし、人数もそんなにいらない。高校生のころは、なんであんなにも大人は山に登ろうとするのだろう、何が面白いんだろうだなんて思っていたが、なるほど、こういう経緯で山登りをし始めるのだなということが分かった。少し大人になった気分。

ということで、いざ友人4人ぐらいと一緒に山登りを始めてみると、これが思っていた以上にしんどい。登り始めは会話も弾み、トトロの「歩こう」まで歌いたくなるほどの爽快な気分であった。「山登り最高やんけ」と友達と心を弾ませるほどでもあった。しかし、10分ぐらい登っていると次第に息が切れてきた。減っていく会話。代わりに増えていく息切れの音。「草枕」のように何か思索にふける余裕などなく、必死に山登りに集中することしかできなくなっていく。そしてふと襲われる『なんでわざわざ山なんか登ってんねやろ・・・』という思考。もう、よく分からない。錯乱状態。

そして、ただしんどいだけでなく、その他にも様々なことにショックを受けてしまった。まず、高校時代は帰宅部であった友人のほうが、運動部であったわたしよりも体力があったということ。山に登ろうとメンバーに招集をかけたとき、『流石におれよりコイツのほうが体力ないやろ』と、心の中でひそかに舐めていたのだが、蓋を開けてみればダントツでわたしがポンコツであった。さらには、わたしを抜き去って元気に登っていくおじいちゃん、おばあちゃんたち。もうね、おじいちゃん、おばあちゃんに抜かされると『おれって体力ないねんや』と諦観することができました。むしろね。友だちもごめんね。

さらには山ガールが全然いないということ。わたしたちが登った山にたまたまいなかっただけかもしれないが、山ガールの姿が全く見当たらなかった。やはり男子たるもの、女子の視線を気にすることで頑張れる部分はあるため、山ガールとの出会いを期待していたのに・・・。思い返すのは高校時代の持久走。男子と女子はそれぞれ運動場のトラックを半周ずれた地点からスタートしていた。途中でその半周差が埋まり女子を追い抜くタイミングが来たとき、我々男子は『この程度の運動など余裕ですわ。所詮、持久走など児戯よ』といったことをアピールするために、あえて息を止めて追い抜いていた。そして、その反動として女子を追い抜いた後に我々を襲う激しい呼吸の乱れ。女子が遠くに離れたあと、全力で口からゼェゼェ息を吸い込む。もう呼吸が乱れる、乱れる。あのときの女子たちは、息が切らさずに颯爽と追い抜いていく(ように彼女たちの目に映っていたはずの)我々のことをカッコいいと思ってくれていたのだろうか。それも今では確かめられぬこと。真相は永久に闇の中・・・。とはいえ、陸上部の女子には半周差の距離を詰められ、最後にはガンガン、いやギャンギャンに抜かされていました。プライドもなにもあったもんじゃありませんでした。

話は戻って、山ガールたちはいまでも山にいるのだろうかと気になる。あれは一過性のブームだったのだろうか。わたしが山ガールのことを考えているとき、かつての山ガールたちはいま何に夢中になっているのか。夏目漱石は「草枕」において

二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。

と言っている。流行りがあれば、それが終わるのもまた道理。山を登っているときはこんなことを考える余裕などありませんが、山を降りて戻ってきた心身ともに落ち着く家の中では色んな事を考えることができます。ちなみに夏目漱石の「草枕」は、最初のほうばかりを読んで、最後まで読み切ったことはありません。高校物理の力学ばっかり勉強して電磁気はおろそかになるのと同じです。悪しからず・・・。


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