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『デブってはっきり言われたら腹立つし、遠回しもそれはそれで腹立つ』の回

定期的にやってくる健康診断。その結果を告げる診断書の文面が固すぎて違和感を覚える。「あなたは肥満が認められます」。うん、いや、確かにそうかもしれんけどな、そんな言い方せんでもよくない? その、なんて言うんかな、「認められます」っていうのがなんか引っかかるねんな。なんか勝手にこっちが自分が肥満であることから目を背けていて、それに対してちゃんと現実と向き合わせようとして来てる感がな、なんか気に食わんねんな。知ってんねん、自分でも自分が肥満体型ってことは。そこをこのガチガチの文面で「あなたは肥満が認められます」って、その実験結果みたいな感じがすごい癪。これは癪です。「あなたは肥満です」でいいです。客観的視点に立った分析の結果「認められます」が大袈裟ですごい癪です。認めてますから、自分で自分は肥満だと。だからそっとしておいてください。

みたいなことを肥満体型の友達が言っていた。確かに彼は、肥満が認められるほどに肥満ではある。でもガリガリのわたしからすると肥満体型の人は幸せそうに見える。わたしの目にはそのふくよかな体型から、何かしらの何かしらに満たされているように映るのだ。これを肥満体型が認められる彼に言うと「いや、何かしらに満たされてるって、脂肪しかないやろ」とややキレ気味につっこまれました。癪に障った様子が認められた。でも本当にガリガリのわたしからすれば、太っているとはすなわち生きるエネルギーに満ちているように思えるのだ。すべての人が同じ太り方をしているわけではないと思うが、めちゃくちゃ食べる、それは生きる意欲の表れではないだろうか。

あとはファッション面も羨ましい。わたしは四季の中で夏が一番好きなのだが、半袖半パンは太っている人の方がよく似合う。ガリガリの半袖半パンなんて弱そうで心もとない。鏡に映った自分の姿を見て心配になる。アロハシャツに半ズボンにサンダルといった格好をしたいけれど、ガリガリにはちと厳しい。でも太っている人はめちゃくちゃ様になる。本当に夏って感じで羨ましい。ってなことを件の彼に言うと「でも普通の人よりもめちゃくちゃ汗かくからな。ヤバいからな」と言ってきた。それは普通に嫌だな。めちゃくちゃ汗かくのは嫌。ガリガリの自分からは、太っている人の良い面、憧れている面ばかりが見えていたが、やはりデメリットもあるのだ。

そして、太っている彼は、わたしのようなガリガリに憧れているらしい。お互いにないものねだりのようだ。じゃあガリガリのどこに憧れる?と聞くと、汗っかきじゃない、合う服のサイズがないとかがない、エレベーターに最後に乗るときにいじられない、などが挙げられた。いや、それって別にガリガリの要素じゃなくて、デブじゃないってだけじゃない? それってガリガリに憧れてるんじゃなくて、デブじゃなくなりたいだけじゃない? 勢いでデブって言ってもうたけど。ガリガリまで行かんくても、全部普通体型で達成できるやん。これを聞いたときに、ガリガリサイドはデブに憧れているが、デブサイドはガリガリには憧れていないことを思い知らされた。なんなんだろう、この少し悔しいという感情は。デブとガリガリは、言わば光と闇、光があるからこそ闇が生まれ、闇があるからこそ光が輝く的な関係だと思っていたのに。

でも多分、デブもガリガリもお互いにガリガリ、デブ判定が甘くなっていると思う。デブが思うちょうどいい痩せているには普通体型の人が入ってきているし、ガリガリが思うちょうどいい太っているにも普通体型の人が入ってきている。デブが思うガリガリは、ガリガリからすればガリガリではなく普通体型だ。逆もまた然り。やっぱり普通が一番なのか・・・。


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