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『まだ人が大便をしている最中だから電気は消さないでくれたまえ』の回

わたしがトイレでウンコをしてるときに、後から入ってきて小便をしていく人たちに言いたい。出ていくときに電気を消さないでくれ。確かにさあ、トイレの電気のスイッチのところには「省エネのため使用時以外は電源を消して下さい」って書かれてるけどさあ。気づかんかね? 人が大便をしていることに。いやまあ、気づかんかったから消したんやろうけどさあ。使用時以外は電気を消さなあかんという意識があるんやったら、逆に入ってきたときにすでに電気が点いてることから『誰か使ってるな』っていうところに考えが及んでもいいと思うんだけれど。おるから先に。ウンコしてるから先に。ほんでウンコしてるときに電気を消されたら絶体絶命なわけよ。ここから先はもう汚い話になるんで読みたくない人はこのページを閉じていただきたい。では、行きます。なんか天津木村の「吟じます」みたいになったな。まあいい。

まず電気を消されると、トイレットペーパーでお尻を拭いたときに、ちゃんとお尻が拭けているかの確認が取れない。だからスマホの明かりを頼りに、わざわざ拭いたあとのトイレットペーパーを確認するはめになるわけですけど、あの瞬間のえも言われぬみじめさったらありゃあせんわけです。なんでこんなことになったんやと。『蛍雪の功のウンコ版やん・・・』と悲しくなってきます。とりあえず3回目ぐらいまでは確認せずに拭いてみて、4回目くらいから確認するのだけれど、たまに4回目とは思えないくらい付いているときがある。その、言わんでも分かるかもしれんけど、ウンコがね。あれ何なんですかね? ケツ離れが良いときと悪いときがありますよね? 良いときは1回目でもほとんど付いてないのに、悪いときは何回拭いてもずっとおる。もう怖いくらいずっとそこにおる。肛門のすぐのところにウンコがおって、おれのケツで大根おろしみたいなことが繰り広げられてるんじゃないかと思うくらいずっとおる。あの離れやすさの違いはなに? そんなケツ離れが悪いウンコに出会うたびに、小学生のころ自分の家で遊んだときに中々帰らなかった友達のことを思い出す。もう夜の6時やから。おれん家6時までやから。楽しいのは分かるけど。ほら、おれのお母さんもイライラし始めてるし。もう早よ帰ってくれなおれがお母さんに怒られるから。いやマジで。いやホンマに頼む。また来て。うん、また遊ぼ。だから今日のところは早く帰って。っていうのを思い出す。

かと言って、一瞬の隙を突いて電気を点けに行くなんてことは出来ない。クレヨンしんちゃんではお尻丸出しが許されているが、あれはしんちゃんが幼稚園児かつフィクションだからだ。大の大人がノンフィクションでケツ丸出しでトイレの電気を点けようとしているところを見られた暁には、最悪の場合お縄だ。真っ暗のトイレからお尻丸出しの男がズボンを膝に引っかけながら低姿勢で出てくるところを想像してみたまえ。普通に恐怖体験である。見つかってはいけないとの考えから、動きも少し機敏になっていることであろう。それがより怖さを助長させる。ゴキブリなどからも分かるように、気持ち悪くて機敏なものには怖さが伴ってくる。タイミング悪く、そんな男と鉢合わせることになった人のことを考えても、一か八か電気を点けに行くなんて、そんなこと出来たもんじゃない。そもそもリスクとリターンが見合ってなくて、もはやバンジージャンプみたいなもんに思える。あれ? この例えやったら、人によっては快感を覚えてしまうことになる・・・?

だから最近はもう自分のウンコ中に誰かが入ってきたら「んんっ!」とわざとらしく咳払いをしてみたり、靴を鳴らしたみたりして、電気を消されないように『Baby boy わたしはここにいるよ』とアピールしている。精一杯存在の証明をして、精一杯電気が消される運命に抵抗している。決して消えはしない、僕だけを照らし出す灯台なんてものはこの世には存在しないから、自分から照らしてもらえるように動く必要がある。だからどうか皆様、小便が終わった後には、大便器に誰か入っているかどうかをちゃんと確認していただきますようお願いいたします。ちゃんと大便器のほうを指差して「大便器に人が入っていることを確認! ヨシッ!!」と声に出して確認していただきたい。そうしていただけると、大便器で気張っているこちら側はそれを聞いて『ホッ。ちゃんとウンコしてることを確認してもらえた。これで消されないから一安心だ』となります。みんなでそういう環境を作っていきましょう。みんなでよ。


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