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『今のは屁じゃなくて屁みたいなお腹の音やから』の回

椅子の軋む音や、お尻と革のクッションの擦れた音などが屁の音みたいになるときがある。違いますよ、屁じゃないですよ、と無罪であることを主張するためにあえてもう一度その音を鳴らそうとするけれど、思いの外再現した音のクオリティが高くなってしまい、2発連続で屁をこいたみたいになって裏目に出るときもある。もういっそのこと、はっきりと言ってしまいたい。「みなさま、今さっきの音は屁ではないんですよ。椅子が軋んだときに出た音なんですよ。たまにあるじゃないですか。分かるよね?」と。誰にも何も聞かれていないのに、自ら身の潔白を主張したくなる。

でもそうすると、本当に屁をこいたときが問題になってくる。本当に屁をこいて何も言わなければ「あれっ? さっきアイツから屁みたいな音聞こえてきたけどなんも言わんな。いっつも屁じゃないときは自分から言うのに、言わんってことは屁やったんか今回は」となってしまう。そもそも屁じゃないときにあれほど勝手に騒いでいたのに、屁をこいたときに自首しないのはフェアじゃないようにと思える。でも別にフェアプレーを求められているわけでもない気もする。屁をこいても「今のは屁じゃないよ。放屁なんかしてないよ」と言ってしまえば万事解決。あとは自分の中の罪悪感との戦い。業を背負うのみよ。

とはいえ、屁みたいな椅子の軋む音ならいいけれど、屁みたいなお腹の鳴った音ならちょっと厳しい。普通のお腹の鳴った音は「グウゥゥゥ」といった感じだが、たまに「クゥゥーン」と1オクターブ上でかつ疑問形みたいな音が鳴るときがある。そしてさらにウルトラレアとして「クゥッ」というほぼほぼ屁みたいな、屁のいとこみたいな音が鳴るときがある。そうなるともう言い訳は出来ない。なぜならお腹の音も、屁の音ほどではないが、鳴ったら恥ずかしいものだからだ。「今のは屁じゃないんですよ。屁みたいなお腹の音なんですよ」と弁解しても「お腹は鳴ったんや」と思われてしまう。どっちみち恥ずかしい・・・。

ただ、屁に比べてお腹の音の方が恥ずかしさは小さいから、屁をこいてしまったときもお腹の音のフリをしてしまえばいいということに書きながら気がついた。「屁じゃないんですよ」とは言わずに「お腹鳴っちゃいました・・・。テヘッ」てな具合に言うと、みんなも「なぁ〜んや、今のは屁みたいなお腹の音やったんか」と好意的解釈をしてくれることであろう。椅子が軋んだ音ではこうはいかない。「椅子の軋んだ音が鳴っちゃいました・・・。テヘッ」「いや、椅子軋んだぐらいでわざわざ言わんやろ。コイツ、屁ごまかそうとしてんちゃう?」と逆に怪しまれてしまう。お腹が鳴るという少し恥ずかしい行為だからこそ、みんなは信じてくれる。この肉を切らせて骨を断つならぬ、お腹を鳴らせて屁を断つ戦法のおかげで、屁をこいてしまったことなんて屁じゃなくなる。もう屁なんて怖くない。


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