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『小学生って今頃夏休みやねんな、自分は仕事やけど』の回

どこかの努力するのを怠った才能ある卓球少年は「あつがなついぜっ!!」なんてことを言っていたが、夏はそりゃあ暑いもんだ。暑くなけりゃあ夏じゃない。

牛乳を飲んだあとに口の中に残るネバネバした感覚が嫌いで、朝食のときはいつもパンを一口分だけ残しておいて、牛乳を飲み干したあとにそれを食べることでネバネバをかき消していた。庭で育てていたアサガオは花ごとに成長速度が違っていて、一度実をなしたものからタネを取り出したときの感覚が忘れられなくて、無理やりに他の実を剥いてみるがまだ柔らかいまま。昼間に食べたきんぴらごぼうに入っていた鷹の爪のカケラが左下7番の歯とその歯茎の間にずっと挟まっていて、どれだけ舌でほじくり出そうとしても取れてくれない。宿題をしなければいけないという思いと、こんなもの放り出して遊びたいという思いの摩擦熱で頭が熱くなってきて鉛筆を握りながらイライラとしてしまう。友達の家で出された生温いコカコーラが気持ち悪くて、しばらくその友達と友達の親が嫌いになる。いつの間にかついてしまった国語の教科書のページの折り目を定規で上からこすって平らにしようとするが、どれだけこすってももう新品のように綺麗にはならない。母親が買ってきてくれたチョコケーキを食べると、思っていたよりもずっと甘ったるくて、奥歯がギシギシして眉間の皮膚がムズムズして全部を引っ剥がしたくなる。盆に父親の実家に帰省して、遊んでいる最中におばあちゃんに話しかけられて、邪魔やなあなんてことを思ってしまう。

小学生のころの夏休みの思い出のいくつかは、それこそ牛乳を飲んだあとみたいにネバネバネバネバと、大人になった今も頭の中にこびりついて記憶から消えないまま。死ぬまで一生忘れない気がしている。

死ぬまで一生忘れないだろうといった気持ち、それを感じた瞬間は毎回その感覚を信じてしまう。

これまで、死ぬまで一生忘れないような気がしていたものをどれだけ忘れてきたのかは、もう忘れてしまっているから絶対に分からないままだし、それをいつ忘れてしまったのかも分からないまま。ずっと昔に、どこかでオーストラリアの少年と出会い、ぼくたちは互いに季節がいつでも真反対だねなんていう会話をしたことがあったかもしれないし、そんなことはなかったかもしれない。

夏休みがあるとかないとかほしいとか、あったころは楽しかったとか思ったりするけれど、その度になんだかずっと何かに騙されているような気になる。ずっと覚えている思い出とついさっき思い出したばかりの思い出とでは、思い出したばかりの思い出のほうがハッとして本当のことのように思えるけれど、それも時間が経ってしまえばずっと覚えている思い出と一緒になってしまうから、もうなにが本当のことだったのか分からなくなってくる。自分の記憶が信じられなくて、ずっと忘れたままのこと、一生思い出せないことこそが、思い出せないというその特性ゆえに自分によって脚色されていない本当に本当の真実だと思うのだけれど、なんでこんなにも本当かどうかにこだわっているのかは自分でも分からない。

今年の夏は暑かった、ただそれだけでいいのに、今までの夏と比べてどうだったかなんていちいち考えてしまうから、記憶が邪魔をしている。


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