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『欲しい本が多分置いてないけどなんかずっと探してしまう』の回

欲しい本があって、本屋のホームページから最寄りの店舗に在庫があるかを確認する。どうやら在庫はあることが分かり、さらにはどの棚に置かれているのかといった情報まで得られた。情報社会はものすごく便利。さっそく本屋へと向かい、その本が置かれているとされる棚を探す。・・・。あれ? この棚にあるって書いてたはずやねんけど・・・。しばらく探しても見つからない。スマホを取り出して、再びホームページで在庫を確認すると「在庫アリ」との表示があり、もう一度棚番号を確認してみても目の前の棚で間違っていないようだ。棚は作者の名前順に整理されており、それに従ってもう一度丁寧に探してみるが、それでも見つからない。もしかして手に取った人が変なところに戻したりして、この棚にはないのかもしれない。ここにないとしたらあそこの分類の棚かと考え、移動してもう一度探すがそこにも置かれていない。うーん、どこにあるんだろうと思い、最初の棚に戻って三度棚を探す。ない。なんでや。いや、どっかにあるはずや。ネットでは「在庫アリ」ってなってるし。え、タイトルこれよな? そうやんな? ・・・。ないなあ。背表紙の感じが分からんからなあ。ネットの書影に背表紙の画像も載せてほしいなあ。そうしたら探しやすいねんけどなあ。うーん・・・。もう一回探そう。・・・。ないなあ。

いやもう正直ね、人によっては『はよ店員に聞けよ。そっちのほうが早いやろ』と思われるかもしれない。それはその通り。それでもなんかね、なんか粘ってしまう。なぜか店員さんに聞くふんぎりがつかない。それは探している本が絶対にどこかにあるはずだって思っているのもあるし、店員さんに声をかけるのは若干緊張するってのもあるし、もし店員さんに探してもらって自分が見落としていて棚に普通にあったらなんだか申し訳ないっていうのもあるし、自力で見つけたほうが見つけたときの喜びが大きいっていうのもあるしで、なんにせよ事はそう単純ではないわけである。だから、店員さんに声をかけるのはもう本当に本当に本当の最終手段。時間と体力がなくなったときのリーサルウェポンとしての店員さん。それまでどうか店員さんよ、待機していて下され。

そして、まだネットで在庫が確認できる本屋はいい。「在庫アリ」とされている分、自力でなんとか見つけられる可能性があるから。しかし在庫検索ができない本屋では、どれだけ探し回ってもそもそもお店にはない可能性がある。それでもわたしはいつまでも探してしまうのだ。何回も目当ての本を探して、『多分、ここには置いてないんやろな』と薄々感じながらも一生探してしまうときがある。もはやないとは思っているにも関わらずよ。ただ、在庫検索ができない本屋で探す方がワクワク感も大きい。もしかしたらこの本屋のどこかでわたしに見つけられるのを待っているのかもしれない、そう思うと『待っていてくれ! いますぐ見つけ出すから!』なんて気持ちになってくる。そして実際に探していた本が見つかったときには、喜びもひとしおである。

ただ、もっとややこしいことを言えば、苦労して苦労してやっと見つけたからといって絶対に買うわけではないのである。苦労して苦労して探し出した本をいざ手に取ってパラパラとめくってみると、なんか違うなあとなるときもあるのだ。なんなら、苦労して見つけたということに誤魔化されて勢いで買ってしまってはいけないと、いつもより財布のひもが固くなっていることすらある。おれは騙されないぞと、いつもよりも身構えて本の内容を吟味してしまう。そして実際、友達と買い物をしているときに欲しい本があると言って本屋についてきてもらい、上に書いたように店員に聞けばいいところを自力で探して、見つけ出すのにめちゃくちゃ時間をかけた挙句、結局「なんかちゃうし、やっぱ買うのやめるわ」と言ったときに、友達に「意味分からへん」と言われてしまったことがある。さらには、それに対して『別に意味分かってもらおうなんて思ってないし。』という意味分からん反論を心の中で唱えてしまった。なにそれ? あのときの自分よ。

でも、なんかちゃうかってんなあ。なんかなあ。あれやん、旅行とかも目的地に行くことが本当の目的ではなくて、そこに行くまでの道中を楽しむもんやん。本を手に入れるのもそれと一緒よ。読みたいなって本を探す、その過程も楽しいわけよ。だから本探しはもはや旅行やねん。分からん? あかん、意味分からんこと言ってる。


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