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『気圧の低い日は頭痛になるという概念を知ってから雨の日は頭が痛い気がする』の回

これまで自分は、晴れの日も雨の日も変わらず能天気に生きていた。しかしあるとき、気圧の低い日は頭痛になる人がいるということを知ってから、自分の能天気な日々の歯車は狂い始めた。

この事実を知ってから、雨の日などにはこのことが頭をよぎるようになってしまった。そうすると、『今日雨か。ってことは気圧低いやん。うっ、なんか頭が痛くなってきた気がする・・・』ということが起き始めた。なにこのプラシーボ効果の悪いバージョン。これまでは何ともなかったことから、完全に思い込み、気のせいだとは思うのだが、一度思い始めたらもうあの能天気なころには戻れない。人生は不可逆。そして実際、雨の日には頭が痛くなることが増えてしまった。繊細なんですわ、わたくし。

もうひとつ、意識してしまいそれが裏目に出る例として挙げたいのが、「ヤクルトを飲み忘れる」といったことだ。自分はまあ腸が弱い。何かしらの発表などを控えた日の朝は、大抵お腹がユルユルになる。そんな辛い現状をどうにかしたく、腸内環境を整えてくれると評判のヤクルトに手を伸ばした。するとまあこのヤクルトが効くこと。ヤクルトを飲み始めて数日経ったころから、お腹は一切ユルユルにならなくなった。たとえ大事な会議が控えてあろうとお腹はガッシガシ。相変わらず緊張はめちゃくちゃするけど。ヤクルトを飲み始めてから、お腹にヤクルト菌がいてくれている、常駐しているという心強さを感じる。ひとりじゃない。そばにいるね feat. ヤクルト菌。安心して、ちゃんと飯も食ってます。

このヤクルトの効果、信頼感により、自分に健やか腸内環境ライフが訪れた。しかし、これがまさか仇になるとは思いもしなかった。ヤクルトを飲むことで得られた腸内の安寧。それはまた、ヤクルトを飲み忘れると再び腸内環境の乱れがわたしを襲うことをも意味する。大学で授業を受けていたある日、2限目の途中でふと『あっ、今日朝にヤクルト飲むの忘れてた』ということを思い出した。そうすると急に意識が自分のお腹に集中し始め、なんだか心許ない気持ちになってきた。お腹の調子が悪くなってきた気がする・・・。ううっ・・・。そして、ついにはお腹が痛くなってきたではないか。これはね、どう考えても考え過ぎ、思い込み。それでもヤクルトを飲み忘れたという事実が自分のお腹を苦しめる。もはやヤクルトに頼らずに過ごしていたころの腹痛よりもひどい気がする。ヤクルトを飲まなかったころは、たまにお腹が痛くなる程度であった。しかし、ヤクルトに頼るようになってからは、ヤクルトを飲んだ日にはほとんどお腹が痛くならなくなったのと引き換えに、ヤクルトを飲み忘れた日には、ほぼほぼお腹が痛くなるようになってしまった。ヤクルトはもはや劇薬、諸刃の剣。こんなにハイリスクハイリターンな代物だったとは。

こんなことがあってから、もうヤクルトを飲むのはやめてしまった。飲み続けることで得られる平和よりも、飲み忘れることで襲われる不安のほうが怖くて、それならばいっそヤクルトを飲まずにたまにお腹が痛くなる日々に甘んじようということになったのだ。平和というものは不断の努力によって成り立っていることを思い知らされた。そして味も普通に好きだっただけに残念である。

他にも、寝る前に舌の置き所どこやったっけ?となったり、呼吸ってちゃんと鼻でしてるっけ?となったり、階段を降りているときに急に一段一段を意識し始めてこけそうになったり、自然でいるってことは意外と難しいことなのかもしれない。こういう文章を書くときも、最初にパッと頭の中に浮かんだ文章を改めて意識して書こうとすると、ふわぁっとどこかへ行ってしまう。『うわっ、めっちゃいい文章が思いついてた気がするのに。えー、なんやったっけー』となる。あのモヤモヤ感たるや、凄まじいものがある。耳かきをしていて感触としては確実に大物が潜んでいるのに、どれだけ掻いても結局出てかなかったときくらいモヤモヤする。『うわっ、さっきあの曲聴こうって思ってたのに。えー、なんやったっけー』ってのもある。『うわっ、買わなあかん調味料あったのに。えー、なんやったっけー』もあるな。いや、これはもうただのド忘れか。全然意識するしないとか関係ないか。


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