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『抜かしたわりに歩くスピードおれとそんな変わらへんのやめてほしい』の回

歩いていると後ろから抜かされることがある。そりゃあ歩いていたらそんなこともある。ただ、抜かしたわりに歩くスピードが自分とそれほど変わらない人にイラッとする。

抜かされるのは別にいいんですよ。わたしも前を歩いている人のスピードが遅いときには抜かしますし。ただね、抜かされたあとに目の前で歩いているスピード自分とそんなに変わらないのを見ると、『なんで抜かしてん。抜かしたんやったらもっとはよ歩かんかい』と思ってしまう。下手したら自分よりちょっと遅いときもある。そうすると、抜かされたのに抜かし返すのはなんだか憚られて、相手の歩くスピードにちょっと合わせて自分も遅く歩くことになる。すると、この見ず知らずのよく分からない、抜かしたわりに全然歩くスピードが速くない人に、自分のペースを乱されたことに対して次第にイライラしてくる。なんやねんコイツ、って思っちゃう。

この他にも、歩いているとイラッとするシチュエーションがある。前を歩いている人のスピードが遅いため、少しだけ歩くスピードを速めて抜かす。そのまま歩いていると信号に引っかかる。横断歩道の前で待っていると、先ほど抜かした人が隣に並んでくる。ここまでは全く問題ない。冇问题モーマンタイ冇问题モーマンタイ。ただ、たまにここから先、イラッとする人がいる。それは信号が青に変わる少し前にフライングして歩き始める人だ。いや、さっきおれが抜かしたのにそんなことされたら、またおれが抜かし直さなあかんやん。どうせ自分、おれより歩くの遅いねんから考えたら分かるやん。ていうかまず信号を守れよ。で、その信号が青に変わるまでのちょっとの間も待てへんのやったら、もっとさっさと歩かんかい。なんやねんコイツ、って思っちゃう。そう思っちゃう。わたしが短気なだけなんでしょうか。

歩くスピードが速い人は遅い人と比較して寿命が長いとは、結構知られた話だと思う。

でもこれって、歩くスピードが速くてかつ穏やかな人の場合のことではないだろうか。わたしは比較的歩くスピードが速い方だとは思うが、上に書いたように街を歩いているだけで些細なことにイライラしている。なんなら上には書かなかったが、歩くスピードが遅いだけ、ただそれだけの人にすらたまにイラッとするときがある。これはもう歩くスピードが速くても、ストレスの影響で寿命はプラスマイナスでマイナスの方に振れているんじゃないだろうか。さらには、わたしだけではなく、歩くスピードが速い人にはせっかちな性格の人が結構多いのではないだろうか。自然に歩くスピードが速いのではなく、せっかちだから歩くスピードが速い。この可能性は大いにあると思う。まあでも、ポジティブに考えよう。せっかちなのに歩くスピードが遅いよりはマシだと。せっかちでストレスを感じやすく寿命が短くなっているところを、歩くスピードが速いことで多少は打ち消せていると思うことにしよう。

こんなことを書いていると、基準に何をもってくるかで伝える内容が同じでも受け手側の印象は変わるなと感じる。歩くスピードが遅い人を基準とし、それと比較して歩くスピードが速い人は寿命が長いと言われれば、それほど悪い印象は受けない。しかし一方で、歩くスピードが速い人を基準とし、それと比較して歩くスピードが遅い人は寿命が短いと言われると、なんだか歩くスピードが遅いのは悪いことのように思えてくる。対象と比較して寿命が短いだけなのに、歩くスピードが遅いことがなぜか寿命の縮まる行為のような印象を受ける。まあでも物事はもっと複雑で、歩くスピードだけが寿命に影響しているわけではないから、あまり深く考えすぎない方がいい。別に元から深く考えてなかったけど。


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