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命の選別、れいわ新選組 大西つねき氏を除籍

2020年07月06日の大西つねき氏のYoutubeライブ配信で「命の選別」発言がなされたことを問題視し、れいわ新選組は07月16日に総会を開き、その後の会見で代表 山本太郎氏は「除籍」を決定したと発表した。

今回の件は、07月06日のライブ配信後から徐々に話題が広がり、インターネットでは擁護・批判が入り乱れ賛否両論が飛び交い、山本太郎氏も迅速な対応にあたっていた。本記事は、擁護でも批判でもなく、別角度からの見解を述べておきたい。

「命の選別」発言騒動の簡単な成り行き

まず、本件についてはすでに結果まで報道されており、「れいわ新選組」「代表 山本太郎氏」「大西つねき氏」らが事の顛末を詳細に説明する会見まで済ませておられるので、詳しく知りたい方は下記をご覧になってほしい。

▼ 発端となった大西つねき氏の07月06日のライブ配信
このライブ配信の中で、大西つねき氏から「命の選別」という言葉が出たことが発端となり、翌日以降には山本太郎氏が対応に奔走し、れいわ新選組としての対応は総会で決定するとした。

▼ 除籍発表後の報道記事(07月16日 日刊スポーツ)
07月16日にれいわ新選組の総会が開かれ、そこで大西つねき氏が「謝罪を撤回」したため、14人が除籍を望み、2人が除籍に反対したという。結果、大西つねき氏の除籍が決定したと発表された。

▼ れいわ新選組 総会後の記者会見(07月16日 ライブ配信)
07月16日に開かれた”れいわ新選組の総会”後に開かれた記者会見では、総会でのやり取りや党発足からの理念など、様々な要素を考慮し話し合われた上での決定であったことが細かに語られた。

▼ 除籍翌日の大西つねき氏の記者会見(07月17日 ライブ配信)
前日の"れいわ新撰組の記者会見"を受けて、大西つねき氏が単独で記者会見を行った。自身の主張を貫いたかたちだが、れいわ新選組を批判する内容ではなかったが、信条のズレについては、以前から自覚があったと語った。

主張と想い、その優先順位

すでに報道もなされ、双方の会見も済んでいるのはご覧通りなので、ここで細かな解説などは割愛する。

一通りを見終えて一般の方々の意見に目を向けると、やはり様々な意見を目にした。大西つねき氏の擁護と批判はもとより、れいわ新選組に対する擁護と批判、山本太郎氏、舩後靖彦氏、木村英子氏、それぞれへの意見や理解を示す声など、まだ日も浅いためか、しばらくの間は物議が続きそうである。

さて、では冒頭で申し上げた通り、少し角度を変えた視点から今回の件を見てみよう。まず、れいわ新選組と大西つねき氏の主張を整理すると簡単にはこうだろう。
れいわ新選組「誰も見捨てず、全員を救える社会を」
大西つねき氏「やがてくる、救える命を判断する社会への覚悟を」

ここだけを見ると違う主張であり、道は分かたれたように聞こえる。
しかし、大西つねき氏は「今もれいわの理念には賛同している」と語っていることからも、れいわ新選組の主張を認めた上での「ゆくゆくはその必要に迫られる」という自身の考えを述べたものであると思われる。

一見すると対立するように見えるこの2つの主張だが、”必要とされるタイミング”という面で見ると、この2つの主張の実現はそれぞれ違う状況下で行われるのではないだろうか。

れいわ新選組の主張は「今すぐ」にでも叶えたい希望とも言える主張だが、大西つねき氏の主張は云わば「(事態が悪化した場合の)備え」である。
仮にどちらも実現できる力をれいわ新選組が持っていたとしても、実際に医療崩壊などが起こっていなければ、優先的に実行されるのは「全員を救える社会」のための政策だろう。「救える命を判断する社会」への政策は、その影で来るべきときに備えて準備が進められればよいもののはずだ。

つまり、この2つの主張は共存できたはずだと私は考える。

この共存の可能性に山本太郎氏やれいわ新選組のメンバー、大西つねき氏が気付いていたかどうかはわからないが、目の前の「命の選別」という言葉が重過ぎたのか、そこにばかり注意が行ってしまったように感じられた。

言葉の重み、命の重み

以前、ツイッターの中での”とある人たち”の会話の中で、このような文言を見かけたことがある。

「最初から80%を目標にしてしまったら、最高でも80%までしか達成できない。あとの20%は確実に捨てることになる。でも、100%は不可能と知りつつも100%を目標にできれば、到達点は80%を大きく超える可能性がある。」

れいわ新選組 山本太郎氏の「誰も見捨てず、全員を救える社会」とは、云わば100%の人々を救おうとする理念と言える。対して大西つねき氏の「救える命を判断する社会」は80%の人々を救う理念であろう。上記で述べた”タイミング”の例からも、同時に並べてどちらが正しいかを問うことが良いとは思わないが、今現在その選別を迫れていないのであれば、1人でも多く救える方を選ぶべきではないだろうか。

また、最近では東京都内の病院に勤務する看護師が大量退職の恐れがあり、その多くが薄給だったという報道がなされ話題を呼んでいるが、これこそ早急に財政出動で支援しなければならない例だろう。

下記は続報

「大規模な財政出動で社会を底上げ支援する」
れいわ新選組が掲げた政策は、大西つねき氏も賛同していたはずである。自身の主張を曲げない信念には敬意を評するが、今は何が一番必要で、そのためにどうあるべきかを一考しても良かったのではと考える。

この病院の問題は「命の選別」の問題ではなく、お金の問題である。
れいわ新選組の掲げた「誰も見捨てず、全員を救える社会」が実現すれば救える人々ではないのか。目の前にある問題の解決のため、そのために必要であれば「自身の主張を敢えてしない」(隠したり捨てろというわけではない)という方法もあったように思う。機を見て内々でまず話すという過程を得られていれば、と思わずにはいられない。


今回の大西つねき氏の発言に対する一連の騒動は、れいわ新選組にとってはマイナス要素の方が大きいであろう。「命の選別」という発言があまりにも重かったために、過程はどうあれ仕方の無い結論であったように思う。
中には、「全員を救うと言っておいて身近な人間を切り捨てる」と批判をする人もいるようだが、組織を離れさせることが見捨てたことにはならないだろう。(そんなことを言い出すと、公認立候補者に応募をして認められなかった人も見捨てたことになってしまう。)
「誰も見捨てず、全員を救える社会」の実現を目指すにあたって、”今は”共に歩む仲間ではなくなった。ということだ。

病院をはじめ、お金の問題で苦しむ人々は今後さらに増えていくかもしれないが、新型コロナウイルスに関しては、世界各国で様々な研究が日々行われている。撲滅とまではいかずともインフルエンザ並みの治療法が確立されれば、「命の選別」などせずに済む可能性もまだあるのだ。今はまず、お金で苦しむ人々が救える政策の実現を急いでほしいと願うばかりである。


命の選別、れいわ新選組 大西つねき氏を除籍(終)