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霜月の夕暮れ 老婆と私

11月ともなると18時にはもうすっかり陽も落ちてしまい、少し肌寒くなったこの時期、街は仕事帰りで少し厚着をした人々が足早に帰路についていた。駅では大勢の人々が行き交い、私もまた、そのうちの1人だった。

電車を降り駅の改札を出て、改札から駅へ入る人波に押し返されそうになりながらも私はゆっくりと建物の外へ歩を進めた。駅ビルを出るとそこはすぐに繁華街、繁華街を抜けると大きめのビルが立ち並ぶオフィス街だ。
まだ仕事が残されていた私は、夕食はどうしようかと考えながら繁華街へ入ろうとした。そのとき、一見60代~70代と思しき老婆に声をかけられた。

この物語は、11月のある日に出会った、ある老婆との出来事である。

ライターを売る 老婆

「ちょっとすみません、タバコ吸いますか?」
何かのアンケートかと思い、私は立ち止まってしまった。しかし、声をかけてきた人物はアンケート用紙や何かのパンフレットのようなものは手にしていない。その人物が差し出してきたのは1つの小さなライターであった。

コンビニで買えばおそらく130円くらいかと思われるありふれた黒く小さいライターが1つ。タバコを吸いたいけどガスが無くて火を貸してほしいってことなのかな?と私は瞬時に思ったが、生憎私はタバコを吸わないため火は持ってはいなかった。
「いえ、吸いませんけど」
と、答えた私にその人物はこう言った。
「このライター買ってくれませんか」

見た目での年齢は60代~70代、背丈は150cmを少し超えるくらいか。痩せ細っているわけではなさそうな体型だが、髪は半分以上が白髪、着ているものは一般的な老人と大差が無い身なり、ズダボロではないが高価なものではないことは見てわかった。少し目が泳いでいたので、何か困ったことになっているのだろうということはすぐに察した。

なぜ私に?とは思ったものの、誰かに話しかける決意をしたときに偶然前にいたのが私だったのか、私なら応じてくれそうに見えたのか、とりあえずそれはどちらでも良いだろうと思いつつ、少しその老婆を観察した。

老婆が手にしていたライターは、シールが少し擦れていたので何度か使用していた物だろう。それが例え売れたとしてもおそらく高くて数十円。そんな小銭を得るために赤の他人にそのような行為をしなければいけない理由はなんなのか、なぜ日が暮れたこんな時間に1人で、わずかな小銭を求めてそんなことをしなければならなくなったのか、ホームレスには見えないこの老婆は、今日このときまで何をしていたのか、私はどうするべきか。
頭に浮かんだ選択肢は2つ。
①無視して立ち去る。
②少し話を聞く。

数年前、別の街中で私はこんな光景に出会ったことがある。
少し栄えた繁華街とオフィスビルが混同する街中の路上に、「私の家はどこですか!私帰る家ないんです!どうしたらいいですか!」と涙を流しながら叫ぶ老婆の姿があった。そのとき周りにいた人々は皆振り向き目を止めたものの、誰一人として声をかけず見て見ぬふりをしたのである。当時の私もその例に洩れなかった。そのときの老婆が、家族に家を追い出されたのか、精神的な病を持っていたのか、はたまた何かの事情で家を取り上げられてしまったのか。数年経った今でも時折思い出す、あのときの老婆はどうなったのだろうと。

私が選択したのは②少し話を聞く。であった。

推察と現実

「どうしたの?帰るお金がないの?」
ライターを買ってあげる気は無かったが、私は問いかけた。

「食べるもの無いんです・・・年金も無くて・・・」
見た目通り年金を受給(できるなら)するような年齢であること、食べ物に困るほどお金が無いことはわかった。そしておそらく仕事はしておらず、貯金といった蓄えも無いのだろうということも。

さらに私は問いかける。
「帰る家はあるの?家族は?」
老婆はライターを差し出したまま、目を泳がせつつ答えた。
「家はありますけど、私一人です・・・」

私は即座に情報を頭の中で整理した。
今日は平日、時刻は18時を回ったあたり、家はある一人暮らし、帰るお金ではなく食べるお金を欲しがっていることから、家はそこから歩いて帰れる距離。この時間に街中で通りすがりに声をかけなければならなくなったということは、無職で仮に年金を受給していたとしても計画的に使うことができないタイプ。少なくとも今日の昼までは切羽詰まっていなかった可能性がある。警察に相談していないことから、引ったくりなどの被害にあったわけでは無さそうだ。この時間になって何かの理由で有り金が無くなってしまったと考えるべきか。

そして私は、すぐ近くにあったパチンコ店の看板に目をやった。
だが、「パチンコに行って負けたの?」とは問わなかった。

仮にその老婆が”有り金をパチンコで使って一文無しになった”ことが事実だったとしても、このとき老婆が食べる物にも困り目を泳がせて私に話しかけてきたという現実は、私には見て見ぬふりができないと自分でわかっていたからだ。

「年金が無くて・・・食べるものが無くて・・・」
と、繰り返す老婆。私は差し出されたままのライターに目を落とし、自分の財布から500円玉を取り出した。

私がした説教

そのときの私の財布には、一万円札が4枚、あとは小銭だけであった。もし千円札が入っていればそれを手渡していただろうが、さすがに通りすがりの他人に無条件で一万円を渡せるほど私にとって一万円は安くはなかった。

私は、ずっと差し出されたままのライターを持った老婆の手に、持ち合わせていた500円玉をそっと乗せた。

「とりあえずこれで今日は何か食べて、明日役所に相談に行って。」
私がそう言うと老婆は”きょとん”となった。私は続けて。
「今日はこれでなんとかなると思うけど、明日からどうするの?こんな物売ったってしょうがないでしょう。」
老婆は少し戸惑った様子で、
「でも年金はもらえないんですよ・・・」
私はなぜか少し声を荒げてしまった。
「年金の部署とは別に生活保護とかの相談を受けてくれる部署があるの、生活保護がダメでも確か生活困窮者への一時貸付とかで対応もあったはずだから、明日になったらそこに相談に行って。」
老婆には初めて聞く話だったらしく、戸惑いと驚きが混じったような表情を見せた。
「とにかく、こんなことしてても何もならないでしょう。今日食べて明日は何か解決策を探さないとダメだよ。お金貸してくれる知り合いとか親族もいないからこうなっちゃったんじゃないの?」

このときの老婆が言った「年金はもらえない」とは、すでに今月分はもらったので来月までもらえないのか、そもそも受給資格が無い(今まで払ってこなかった)のかはわからない。生活保護にしても、受けられる対象になるのは簡単なことではない。それでも、どこかに相談に行かなくてはこの老婆の現状は変わらないだろうと私は判断した。

老婆の手には黒い小さなライターと、私が渡した500円玉。
「あ・・・これ・・・」
と言って老婆はライターを私に手渡そうとしたが、私は受け取らず、
「それはいいから、明日ちゃんと役所行くんだよ。こんなことしてたらダメだって。」
そう言った私に、
「ありがとうございます。行ってみます。ありがとうございます。」
と、老婆は三度頭を下げた。

そして私は近くの交差点の信号が青になったのを見て、
「じゃぁ、ちゃんと行くんだよ。」
と言い残し、その場を後にした。
交差点を渡ってから振り返えり老婆の様子を見ると、弱弱しい足取りで私とは別方向へ歩き始めていた。

※地域により、福祉事務所は役所とは別のところにある場合もある。

自己満足という名の、偽善

その後、私は考える。
仮にあの老婆の状況の原因がパチンコによる浪費だとしたら、役所に相談に行っても全て弾かれてしまうだろう。自業自得を棚に上げて助けてもらうことを容認するほど、世の中は甘くはない。
真っ当に生きてきた、それでもダメだったという者に救いの手を差し伸べるのが生活保護だ。(すでに生活保護を受けていて、そのお金で自堕落な生活をしている場合もあるが。)娯楽に浪費して困窮したとあっては、助けたくても助けられないという状況に陥ってしまう。

あのとき出会った老婆がどういった経緯であのような状況になってしまったのか、その事実は今となっては知る由もない。もし年金以外の福祉制度を受けられないというのであれば、それはあの老婆の自業自得ということになるのだろうか。

あの老婆と別れたあと、老婆が歩いていた方向には安いお弁当を売っているスーパーがある。時間帯からするとさらに値引きが行われていたはずだ。そのスーパーで少しはマシなお弁当が買えただろうか。いまどき500円だけでは牛丼一杯、コンビニでも小さなお弁当やパンを2つ3つ買うのが限界か。スーパーでは、コンビニで500円超のお弁当級のものが500円未満で買える。
私はあのとき、そのスーパーに向かっていて欲しいと願っていた。


この日の私がしたことは、本当のところ何の解決にもならなかったのかもしれない。もし原因がパチンコで、パチンコ依存症だったなら、あんな説教だけで治るとは思えない。それ以外の原因だったなら、福祉制度で助けられる可能性が出てくるのであろうが。

結局のところ、私はあのとき”良い人”を演じただけではないのかと自問自答する。あのような実態の知れない人物を真面目に相手にしない、というのが常人なのかもしれない。そんなことは私にもわかっていたが、数年前に見た光景を忘れられない私には、無視して立ち去ることはできなかった。かと言って、あの老婆を助けられたわけではない。ほんの一食分のお金を渡し、あとは自分でなんとかしろと言っただけである。次の収入を得るまでにどうにもならなかった場合、万引きなどの窃盗・犯罪に走る可能性まであったあの老婆に私がしたことは、明日という猶予を一日あげただけなのだ。

どうすれば、などと考えたところで不毛なことも知っている。所詮他人は他人に何もしてあげられない。他人の命よりも、自分の財布の中身のほうが大切だというのが現実だろう。

それでも、それでも私は思う。
私と出会った人よ、どうか死なないでください、と。


この物語は、全て先日私が経験した実話である。


霜月の夕暮れ 老婆と私(終)