知足ということ

足りていることを知る、というのはつまり、己を知るということだと思います。

足りない部分を埋めたり、自分の良い部分を伸ばしたり、簡単に楽になったりこれだけやっておけば大丈夫だったり、そんな自己啓発本やビジネス本がさまざまなハウツーを展開していて、それらの情報にたくさん触れれば触れるほど『これらをやらないとまずい』という思いに駆られます。

私も日々これらの情報に触れながら、一方でこの「おいていかれる焦燥感」はモノを売るための戦略である ということを心に留めなくてはいけない、とも思っています。

もちろん、会社で労働対価としてお金をもらうのであればその仕事に見合った学習は必要です。将来の不安があるならそれを解消するための学習も必要かもしれません。

ただ一方で、本当に真摯に仕事に向き合えば自然とその中で学習するものに出会い自然と学べるし、将来の不安は将来を漠然としか考えていないために生まれる不安で、解消するには自ら「こう生きる」と決めることが解決策ではないか、とも思っています。

足りないものを数えるときりがないので、足りているものを数える。
そして持っているものを最大限活用する。

突然ですが
箸が無いとラーメンを食べられないでしょうか?

フォークでも食べられますね。
頑張ればスプーンでも食べられるんです。
#先日山の上でカップ麺を食べようと思ったらスプーンしかなかったのですが 、問題なく食べられました。割り箸をいつも持っていくのはエコではないと思っていたので、私は今後、全てスプーンにしようと決めました。

仕事の進捗を整理するために、新しいツールの導入は必須でしょうか。
導入コストのほかに、それに触れる人数が増えるほどツールの学習コストも増えます。活用できないメンバーというリスクも生まれます。
今あるツールでどんな問題があるのか、それは全体で見て本当に問題なのか。今あるツールに少しのコストをかければ解決するのではないか。

不便だから・もっと便利になるから で単純に選び続けると、何かひとつに特化したものがたくさん溢れ、それぞれの使いこなし方を覚えるのが大変という本末転倒な形になってしまう。

100円均一に売っている便利な調理ツールが全部家にあったとしても、多分全部を使いこなすことは誰にもできないでしょう。

自分の持っているもの・出来ること・知っていることをきちんと整理し、本当に必要なものだけを選ぶ。

それこそ正しい「知識の応用」ではないかと思います。

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