KYOTOで感じた『正解』

京都駅の新幹線改札内にある老舗の和菓子屋、宝泉堂さん。
先日、新幹線の予約を1時間遅らせたことを失念して改札内に入ってしまい途方に暮れていた時に利用しました。

美味この上ない栗きんとんと雁ヶ音茶を頂いたのですが、この雁ヶ音茶の一煎目が衝撃的な甘さで、そりゃもう、お茶と思って飲むと失敗するくらいの甘さでした。
一煎目はそのまま飲んで、二煎目からお菓子と合わせるべきだと反省しました。

そんなとき隣に座ったのは、おそらく出張帰りの壮年の男性ふたり。
『昔はお茶なんて、こんな苦いものなんで飲むんだと思ったもんだ』
と片方の男性が言ったのに対して、もう一方の方は
『そうですか…私は甘いものと思ってましたが、茶葉にも色々ありますからね』
と仰いました。

ここで私が思ったのは、後者の方は京都か、もしくは静岡などお茶の盛んな地域の出自なのかもなということ。

少なくとも私は、ある程度の年になるまで『お茶は美味しい』とは思っても『お茶は甘い』とは思っていませんでした。
でも、例えばこの時に飲んだ雁ヶ音茶の一煎目を何度も飲んでいたらきっと幼い私はお茶を甘いものと認識していたと思います。

お茶は苦いけど美味しい。
そう育ってきた私は、二煎目以降は意識して湯温を上げたり(湯冷まししない)急須を揺すったりして苦みを出したお茶で栗きんとんを美味しくいただきました。私にとって美味しいお茶は、すっきりとした苦みがある、お菓子などと合わせるためのお茶だったのです。

思い出すのは、20代前半に紅茶のワークショップに参加したとき。
当時はまだ塩素が多くて味も良くなかった都会の水道水。
水は汲みたての酸素が多いものが望ましいものの、ペットボトルなら沸かす前によく振ってください、と説明を受けました。
発祥の地イギリスは硬水ですが、軟水だと味の出方が変わります。
入れ方によっては、丸みがあっても華やかさや味わいが少ないお茶になるそうです。
でもその時に言われたのが、『紅茶は美味しくいただくことがルールなので、丸いのが好きならそれが正しい淹れ方です。好きなのはどんな淹れ方の紅茶か、違いを愉しむのも良いものです』でした。

人というのはとかく正解を求めたがり、誰かの決めたルールに従うと安心したりする部分がありますが、絶対軸を『自分』に置いて良いのだと、早いうちに教えてもらえたのはとても貴重な体験でした。

年の瀬。今年を振り返り来年の目標を考える時期ですが、
『自分にとっての目標』

『誰かから見て正しい目標』
になってしまっていないか、考えたいです。

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