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娘が母になった日 -母性について-

「これが書けたら、作家を辞めてもいい。その思いを込めて書き上げました」

あまり本を読まない私でも、名を知るほどのベストセラー作家、湊かなえさんが語った言葉です。本作のテーマは「母性」。最近ではよく「母性をくすぐる人だね。笑」とか「母性湧いちゃってるじゃんw」なんて言葉を、20代の私は耳にします。

私と、この映画の出逢いは、東京国際映画祭でした。ジャパンプレミアという華々しい大舞台で、豪華キャスト陣が語った思いを知って、私は深く「母性」について考えるようになりました。

とは言え、私は男です。20代の男性です。

映画『告白』を学生の時に観て、湊かなえさんの描く世界に、テーマを単なる善悪で片づけない作風に魅了された一塊のミーハーです。

正直言うと、私はこの映画を、手を広げて、声を大にして「理解できた。」とは言えませんでした。映画祭の帰り道、私は鑑賞後のモヤモヤを1秒でも早く消し去りたくて、大学からの友人T君に電話をしました。

私「いやぁ、予告から期待してて、ワクワクしながら、あえて原作も読まずに観たんよね。でも、実際分かるようで分からなかったんよ。笑」

そんなことを言った気がします。うまく言葉に出来ませんでしたが、当時のモヤモヤを的確に伝えた最善の言葉だったと思います。

私「娘のままでいたい母・ルミ子と、母に愛されたい娘・清佳のお話なんやけど、最初ミステリーで始まるんよね。で、中盤からヒューマン全開まっしぐらなんよ。主題歌もJUJUさん完全泣かせにきてるし、予告でジャンルはどっちなんやろーって思ってたら、割とどっちもやってん。んで、ヒューマンなら泣けると思うやん?それが、え!それで良いのー!?って終わりで、さすがイヤミスの女王と呼ばれる湊さんが書いた原作なだけある…特に母と娘の感情が共感出来やんのよね、芯から。」

私は評論家気取りで語りました。
(人によって判断基準は違うでしょうが、私にとって「クリエイターであること」、何かを一生懸命、何かしらの形で伝えてくださる発信者は、お金持ちだとか、良い大学出身だとか、有名な会社に勤めているなんかよりも尊敬順位が高いので、絶大な敬愛を込めながら・・・)

T君「なるほどね。それって君が「男」だからなんとちゃう?」

なんて単純なことを忘れていたのだろうと思いました。当たり前すぎて考慮していなかったけれど、私に彼女らの考えが、思いが、芯から理解できないのは「性別」によるものなのか?そう思いました。

と同時に、男だからこそ、私だからこそ、母性について考える機会がなかったかと言うと、そんなことはなかったことに気がついたのです。

母性について考える

私には母がいて、母にも母がいます。
昔話をさせてください。
父と母は隣の村で出逢いました。母が22歳の時です。23歳で結婚し、24歳で私を産みました。

私が8歳の時。共働きの両親の代わりに、私の面倒は、いつも父方の祖母が見てくれていました。学校から帰ると「おかえり。」と言って、スーパーで買ってきてくれた甘くないお菓子と、甘すぎる焼き芋に、ノシイカなんかをくれました。

母と父方の祖母は当時、あまり仲が良くありませんでした。細かいことは分かりませんが、言葉ではない嫌な間や、不穏な空気を子供ながらに私は感じることがありました。今思えば、外で働いている「母」を「祖母」は快く思っていなかったのだと思います。

ある日、母が消えたことがありました。私たちの住む家から居なくなったのです。特に何かがあったかと言うと、そうでもなかった日だと思います。ただ、私は幼いながら「捨てられた」という感覚を覚えたのを今でも覚えています。それはもう鮮明に。夫を置いて、息子も連れず、彼女は、彼女の産まれた家に帰っていました。私たちの家から、彼女だけの家に帰っていました。

悲しくて泣いたことだけを覚えています。悔しくて喚いた時の感情だけが明らかでした。

「いつ帰ってくるの?」

朧げながら、そう母に問うたと思います。

どうやら父親とケンカをしたらしいのです。
そしてその原因が父方の祖母。

お父さんに謝るように促すと
「知らん。ほっとけ。」と言われました。

絶望とやるせなさに支配されながら、私は孤独を感じていました。

数日後、母が帰ってきました。曇りひとつない笑みで、いつもと変わらぬ母を、私は見ました。

この映画を観て、私はこの日のことを思い出しました。もしかすると、母はあの日、実家で過ごした数日に「娘」から「母」になったのではないか。そう思いました。母の母が、母になにを伝えたのかは分かりません。母の父や、母の兄が何を言ったのかは知りません。ただ私が知る限り、その日以降、母は強くなったと感じます。思ったことを言う人になりました。塞ぎこまず、相談するような人になりました。

23という若さで結婚し、24で私を産んだ母は、当時まだ「娘」だったのかもしれません。いつもと変わらない笑顔で、私を抱きしめてくれた母は、もしかすると母性を得た後の、「娘」ではない「母」としての「母」だったのかもしれません。

私は今、24です。
母が私を産んだ歳になりました。

今でも私は、母を母として尊敬します。若くして私を身籠もり「愛能う限り」、私を大切に育ててくれた母。娘が母ではなく、娘のまま居続けたい気持ちも、娘が母に、母として愛されたい気持ちも、ごく自然なことだと思います。誰だって、誰かに愛されたいと思うのはあたりまえなのだから。

私は、息子としてそう思います。


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