森田ひかるは救世主である。【櫻坂46 承認欲求 MV考察】
明らかにオーギュスト・ロダン作のエヴァのオマージュのようなシーンがある。
エヴァとは言葉としては福音(喜ばしいおとずれ)の意味であり、作品としてはロダンの代表作「地獄の門」の両脇に、アダムとともに立てるべく構想された作品で神が禁じた智恵の実を食す罪を犯したことで、苦悩に身もだえする姿を示す。
最初のシーンで神に祈りを捧げる森田ひかる。
しかし、次のシーンでは掛けていた眼鏡を外し踏み潰す。
つまりはこれまでの自分からの脱却か。
自分を取り繕っていたものの象徴としての眼鏡を外し、本来の姿が暴れ出す。
これがMVの監督をされた加藤ヒデジンさんがXで言っていたこの楽曲のテーマである「私ではない私が暴走する」ということなのかもしれない。
この主人公にとっては神に祈ること、信仰心とは演技でその姿に熱狂する他者からの承認を欲している。
神に背を向け歩き出す森田ひかる。
シンクで強調されている「右手」にはスピリチュアル的に行動という意味がある。
まるで新たに神に成り代わったかのような自意識過剰な立ち居振る舞いをする森田ひかる。
そして他のメンバーもその姿に呼応していく。
白い衣装の広がりは自意識の広がりを表現していると思う。
しかし、1サビ終わりで森田ひかるは倒れ込む。
その後、森田ひかる不在で進む世界が映し出される。
つまりは自分を見失ったということだ。
欲求とは本来は誰しもが持っている純粋な感情だ。
そのまま神に祈りを捧げているだけで良かったのに他者からの承認を欲した。
その思い上がりがこの結果を招いた。
「君は君でしかないだろう」
このワンフレーズに全てが集約される。
他者の目を気にせず生きていく。
その気づきを得た主人公は胎児が頭と足が上下逆さまに産まれてくるように天と地が逆さまの白い布の上でまさに今、愛の救世主として生まれ変わろうとしている。