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「愛し合いなさい」にみる露悪的な歌詞の受け取り方【櫻坂46】

櫻坂46「愛し合いなさい」の歌詞は露悪的だ。
良くも悪くも軽い。
そもそも、自分は秋元康さんのその軽さが大好きで、好きな人にはクセになると思うのが、嫌いな人には一切受け付けないカルチャーなのだろう。
その露悪的なカルチャーとはそもそもが「悪さ」をあえて出す楽しみなのだから、受け取り手が悪意で向き合えばどうとでも捉えることもできるし揚げ足は取られやすく切り取られやすい。
真剣に受け取っても何も始まらない。
それが分からない層が一定層いる。
秋元康さんの1面に過ぎないその「露悪さ」にそもそも固執しなくてもいいのにとも思う。

今の時代には向いていないのだろう。
今は真逆の偽善の時代だ。
所詮は人々の飽きで偽善的なものがウケる時代と露悪的なものがウケる時代が繰り返されるだけで良いも悪いも無いと思う。

秋元康さんの言葉である「止まった時計は二度合う」にある通り、やり続けることに意味を見出す美学を持っているのだから、それが長年ヒットメーカーであり続ける秘訣なのだと思うし、その姿勢は今後も変わらないと思うのでそれが嫌なら自分が変わるか去るしかない。

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