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心のあそび

宇宙、真理、心、について。今回は心。

心とは?

イド(欲求)/自我(意識)/超自我(理性)
このようにフロイトは3つの層で考えた。
これが心の構造、フロイトの構造論。

それはともかく、私は「粒子と反粒子」の関係で心を描けるのではないかと思う。(→前々回の話
つまり「欲望と理性(仮)」は粒子と反粒子のように同時に現れるが、すぐ打ち消しあってしまう・・・のではないか。
それはあまりに速いことなので意識されない。

それでもときどき対称性の破れみたいなものが起きて、欲望がほんの少し勝る。
それは一気に拡大して、意識にのぼってくる。
「腹減った、仕事やめて食事」となる。
またある時は、理性がほんのちょっと勝る。それは一気に拡大して、
「仕事優先、食事は我慢しよう」となる。

この「心のミニビッグバン(妙な言い方だけど)」が、二重に起き、消えることなくぶつかり合うケース、それがアンビバレンツではないだろうか。2つの異なる感情に、心が張り裂けそうになる。ひどくなると病んでしまう。
量子力学で言うところの「ゆらぎ」が失われている状態だろう。ゆらぎは「あそび」(物事の動き・作用にゆとりや余裕があること)と言ってもいいかもしれない。

ゆらぎがない議論は硬直化する。ケンカになりやすい。
ギチギチとした寸分たがわぬ完璧なものは、瓦解しやすい。

ゆらぎがある、つまりいろいろなものが飛び出したり消えたり、そういう可能性があること。それを整えて成長させる環境を作ること。そして成長したものをまた見直すこと。
すべての結論はつねに過程でしかない。

「遊びをせむとや生まれけむ」(梁塵秘抄 四句神歌)
は異なる意味だけれど、今回の話をあえて重ね合わせて考えてみると、大切なことを言い得ていると思う。

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