#Reverb 19 職人の「父」 ー親方について、「親方」という存在についてー


職人にとって「父」である親方は特別な存在です。


外国で寿司職人という職業人をして生活していて感じたこと、それは「母の日は世界中で盛り上がるけど父の日はそこまで盛り上がらないんだな」でした。多くの国で寿司を握りながらすごしていきましたが、「父の日」は母の日ほど盛り上がりません。父の日が母の日より盛り上がる国ってあるのでしょうか?


私にとって、父という存在は2人います。それは実の父と「親方」です。
今日は「親方」について書きたいと思います。


私の親方は私が高校生の時にアルバイトに入った街の寿司屋さんの主人です。私の友達の親戚関係の人でした。その寿司屋に私は高校生の時にアルバイトに入りました。今から30年以上前のことです。

その昔「街の寿司屋」は正直「カタギでない職業」でした。板前は男性ばかり、酒やタバコや賭博を愛し、付き合いもヤクザまがいのような感じでした。刺青を入れてる板前も多かったようです。よく

「女性は寿司職人になれないのは女性には生理があって体温が変化するから寿司のような素手で作る料理だと感覚に差が出てくる、つまり感覚が変わってしまうから寿司の味が変わってしまう。だから女性の寿司職人はいない」


と話す人がいますが、私はあれは後付けの理由だと思っています。寿司職人という職場があまりにカタギでなかったから、女性が職業として働くような場でなかったから、女性の寿司職人はいなかったのだと思います。

私の「親方」の「親方」、は寿司職人の立場を向上させよう、カタギでないと言われるような立場を変えよう!という考え方の方でした。見た目の清潔感を重視し、立ち振る舞い、話し方もすごく洗練を目指していました。所作も、話し方も(当時の寿司の板前と)あらゆる面で違っていたようです。
その厳しく洗練された銀座の親方の下で育った親方の所作も話し方も洗練されてかっこよかった。
そして親方の話は本当に面白かった。カウンターでの楽しい話を聞いたお客様は笑顔が絶えませんでした。落語が好きでよく観に行っていました。

親方と弟子という制度は、今の若い人には想像がしにくい制度だと思います。親方は基本弟子に具体的に言葉で教えません。弟子はまず、店のいちばん基本的な作業を行うことから始めます。弟子はその作業を行いながら親方の所作を横で見て、自分で覚えていきます。弟子も自己管理をしながら成長していく必要があるのです。ちなみに寿司屋は生の食材を扱うから職人はなんでも食べるべき、職人に好き嫌いがあってはいけないと想像する方は多いと思います。私も基本的に食に好き嫌いはありません。私の親方は違いました。親方は子供の時、実はものすごい偏食で、野菜を一切食べなかったそうです。中学3年生の際に寿司屋に修行に行くと決めた時、偏食によって爪が紫色になっていたそうです。その爪を見て当時のお店の親方が「爪が全部まともな色になったら弟子にする」と言ったそうです(そりゃそうです。寿司屋は手元を見られる職業ですから)。そこで親方は野菜を食べるようになった。。のではなく、「早く弟子になりたかったから病院に行って爪を剥がしてきた」そうです。このことを自慢げに何度も話していました。私としては「爪を剥がずなんて拷問並みに痛いはずだから、だったら野菜食べた方が良かったのでは」と言いたかったのですが、黙っていました。

このように、親方に弟子は意見することはない、というのが根本にありました。私は高校生でこのお店に入ってからずっと親方についていきました。親方からは(言葉で教えてもらったことはありませんが)本当に多くのことを教えてもらったと思っています。親方はいつもとても身辺を綺麗にしていました。自宅にも何度か伺いましたが自宅もモデルルームのように綺麗でした。

親方は銀座に十年、その後浅草でお店を営んでいました。その頃は大体1980年代。まさにバブル真っ盛りの時です。当時の日本は本当に活気があったそうです。今では想像ができませんが当時、浅草のお店は夜中の12時から予約のお客様を2回転回すほど繁栄していたそうです。

ちなみに、親方が父のような存在であるというのにはもう1つ理由があります。私が結婚した際、妻は既にお父様を亡くされていました。そこで親方に妻のエスコート役として結婚式でバージンロードを歩いてもらったのです。その時の緊張した顔はお店の時は全く違っていて今でもとてもよく覚えています。

高度成長期からバブル、そしてバブル崩壊から平成の低迷期へ。親方の職人としての人生はまさに日本経済の繁栄と衰退を体感していったともいえます。ちなみに親方はもうこの世にはいません。私がお店を辞め、外国に行って戻ってきて京都のリッツカールトンで寿司職人として働いている時に亡くなりました。亡くなったことも人伝に聞きました。そして葬式の日は悪天候で到着が遅れに遅れ、私は親方には火葬場で対面することになりました。
「最後まで教えてくれませんでしたね」と思わず呟いたのを覚えています。

親方はとても尊敬していますが「言葉で伝える」ということをもっとすべきだったのではないかなと思うことは多いです。現在私は店の経営者として多くのスタッフを抱えています。スタッフに「言われる前に自分で感じて行動してほしい」と思うことは、正直あります。でも、時は流れましたし、時代を経て考え方も変わりました。そして私自身も世帯を持ち、父親になりました。私は自分で行動で伝えながらも、言葉でも伝えていきたいと思っています。このnoteも「言葉で伝えたいことがある」という想いから始めました。

親方への尊敬の気持ちを大事にしながら、私なりの「親方像」をこれからも探していきたいと思います。


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