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次の何かを照らすんだ

 どう問題。アラまなだよ。これからは小説の制作(という名のプロットづくり)とnoteの制作と自分の将来のことを毎日、頑張るつもりだよ。

 さて、皆さまは「爆笑レッドシアター」という番組をご存じだろうか。
 爆笑レッドシアターとは、2009年4月から2010年9月(前身の「ザ・スリーシアター」を含めれば、2008年1月から(ただし不定期で。レギュラーは同年10月から))にフジテレビ系で放送されたコント番組である。
 レギュラーは内村光良さん(支配人(MC)。ただし、スペシャルではコント参加あり。)、狩野英孝さん(リーダー)、しずる、ジャルジャル、はんにゃ、フルーツポンチ、柳原可奈子、ロッチ、我が家
  その他、客演として兄弟番組の「爆笑レッドカーペット」に出ていた芸人さんが登場する。

この番組は毎回、番組が用意した3つのシチュエーションの中で各芸人(またはレギュラーメンバー同士のユニットコント)がコントを展開する「スリーシアター」があり、そこで数々のコントキャラが生まれ、放送後は、そのキャラの真似をする者も現れた。その他にも大喜利コーナーの「ワンフレーズシアター」、将来有望な若手がたくさん出る「ホワイトシアター」(なんと初回にはマヂラブが出ていた!)、モノボケコーナー「杉下ウッ京の事件簿」など芸人の腕が試されるコーナーもあった。

 はんにゃがきっかけで「ピラメキーノ」が大好きだった私は、もちろん、レッドシアターが観たか(フルポンも出ていたのもあるが。)しかし、当時、家の事情でこの番組をスペシャル以外は観る事ができなかった(22時放送なため。途中から観られるようにはなったが。)。そのため、番組へのメッセージや番組を観ていた友人の話からどのようなコントだったのかを想像したり、「ピラメキーノ」などメンバーが出ている他の番組を観るなどをして、番組が観られないことへの思いを埋めていった。
 そうしているうちに、他のメンバーも好きになり、お笑いが大好きになり、(大人になったらレッドシアターの観覧に行きたい。)や(いつか、フジテレビのスタッフになってレッドシアターに関わりたい。)と思うようになった。
 レッドシアターは、私がお笑いが好きになったきっかけとなると同時に運命となった番組になったのだ。

 だが、2010年の9月、レッドシアターは終わった。私はショックだった。レッドシアターの復活と永遠を願い、学校の工作をレッドシアターのOPのデザイン風にした。
 それぐらい、私はレッドシアターが好きだったのだ。

 そして、時が過ぎ、メンバーの人気も落ち着き、私自身も(「ピカルの定理」にハマったのもあるが)レッドシアターメンバーをそれほど追っかけなくなり、ピカルも終わったあとには(ピースなどは好きだったが)お笑いをさほど興味が湧かなくなってしまった。

 また時が過ぎる。
 去年の秋、バイトと就活で疲れ果てていた時である。私は、キングオブコント2020を(結果を知ってから)観ていた。
 数々の芸人のネタに笑っている中でジャルジャルの出番が来る。
 私は、彼らのネタになつかしさを感じたと同時にレッドシアターが好きだったころの楽しかった思い出を思い出した。彼らのネタを観ているうちにバイトと就活の辛さが和らいでいった。その後の結果発表でのジャルジャル優勝決定時の福徳さんの涙にもらい泣きした。こうして、私は再びお笑いを愛するようになった(実は本当はその後のニューヨークのネタに大爆笑してお笑いが好きになったことからだけど。)。

 お笑いが好きになってから、現在は、霜降り明星を筆頭に第七世代が生まれ、お笑いが再活性化し、「有吉の壁」や「新しいカギ」、「ザ・ベストワン」、「ネタパレ」などお笑い番組が再びあふれるようになったことを知った。
 その中で第七世代の芸人の中には、レッドシアターやレッドシアターのメンバーを観ていた芸人もいる(コロチキの西野さん、宮下草薙の草薙くん(はんにゃを観て芸人を志したそうです。)、四千頭身の都築くんなど)。
 そう考えると、第七世代の中にはレッドシアターの影響を受けている芸人もいるのだなと感情深くなった。

 故に、今だからこそ、爆笑レッドシアターは一夜限りの復活をしてもいいと思う(加えて、去年のキングオブコントでジャルジャルが優勝したのも理由である。)。その時は、本当にメンバー全員集合したネタが見たいし、客演として私が好きな芸人さんも観たい(もちろん、狩野さんが弄られているのも観たい。)。

 では。
 このnoteで好きなものの話も、たまにはね?

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