見出し画像

正しさとは何か

昨日研究室の先輩と「正しい」って何だろうね。って話になった。
名前は忘れてしまったけど、正しい世界というのをテーマに小説を書いている人がいるらしい。その世界では、優先席の使い方とか男女平等とか高齢者への配慮とかがすごく整っていて、理想の世界があるらしい。先輩は昔それを読んだときは何とも思わなかったけど、大学院2年になって読むと、ぞっとすると言っていた。
マイノリティの人が暮らしやすい世界をいま求めている人が多いと思うけど、例えば女性の社会進出のために男性の育休取得が推進されていることとか。男性の育休取得をすることが2023年現在「正しい」とされる風潮はあるけど、それは女性が求めていることの押し付けではないのかとも考えられる。仕事をしながら育児をしている女性は、自分も仕事をしたいのに男性の育休が取りにくいことで女性が育休を取る。結果として女性の仕事に充てられる時間が減って、業績が認められるチャンスが減り、管理者になれない。この結果を受けて女性は男性が育休を取りやすい社会の実現を求める。

これは女性が男性or社会に「求めていること」であって、「正しいこと」とは言えないのではないか。

ここが先輩のモヤモヤポイントだった。

私もこれには同意する。そう考えると、正しいことって結局誰かの欲求であって、それを正しさという名前を借りて欲求の主張を行っているに過ぎないのではないか。
男性の時間も女性の時間も限られていて、そのなかで育児の時間をどう資源配分するか。資源配分の問題になる。

そう考えるとマイノリティの人とか見えにくいもの、少数のものが抑圧されるのは自然なことだと思える。ただ私はその社会でいいと言っているのではないということは断っておく。
それは個人単位で行われるべきであると思う。それが構造上できないために社会の多くの人が社会に対して訴えていると思うのだけれど、本来これは個人単位で調整されるべき問題だと思う。そして男性の育休とか、女性の社会進出とかはそれ自体が目的なのではなく、それが個人単位で調節できるようになることが本質だと思う。

なので、個人にとっての正しいはあっても、社会全体としての正しいはないのではないかというのが私の意見。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?