『君たちはどう生きるか』の率直な感想と“塔”についての考察。眞人と大おじの正体は?本作における“世界”である宮崎駿のアニメづくりの世界を覗く
『君たちはどう生きるか』
公式サイト:https://www.ghibli.jp/info/013702/
©2023 Studio Ghibli
※ネタバレ注意
未鑑賞の方はご遠慮ください。
冒頭、火事のシーンからタイトルが出るまでがめちゃくちゃ良くて、鑑賞中ずっと期待値が上がりっぱなしだった。階段を駆け上がり、車に乗り降りする、ただそれだけのシーンでアニメーションの素晴らしさに感動。しかしこの作品がどこまでのリアリティ・ラインで来るのか探りながら観ていると、明確に一線を越える(塔へ入る)ところがあるのだが、そこまでが長い。
なつ子さんという新しい母親を真人が認めるまでの物語だとしても、紙が飛び交うあのシーンくらいしかドラマがなく、もう少し2人の関係を深く描き、見せて欲しかったという感想は否めない。
声優でない人たちの演技を聞き、声優の偉大さを再認識すると共に、その何とも言えない“生っぽさ”が宮崎駿のフェティシズムであることは、本作で改めて理解したところである。
〈以下、塔についての考察〉
これまでの作品から飛び出してきた様なキャラクターたちやシーンが詰め込まれたあの塔は、宮崎駿のアニメ作りの空間、ジブリそのものなのだという解釈をしてみたい。もちろん辻褄の合わないところはあるので異論は認めます。
本作の主人公である真人は裕福な家庭に生まれた少年で、その生い立ちや環境を見るに宮崎駿 本人と重ねられていることはなんとなく分かる。そんな少年がアニメの世界(ファンタジーの世界)へと入り込み、そこで時間を過ごし、現実へと帰っていく。これまで散々引退するだの引退した身でつくるだの言ってきた宮崎駿が、アニメづくりということからようやく手を引き、現実へと帰る様に見えた。
小さな頃、ある塔に迷い込み目撃した様々なことが、後の作品へと生きている。とファンタジックに解釈してみるのも面白いかもしれない。
いずれにしても、今作での“世界”という言葉は、あくまで“宮崎駿のつくる世界”であり、「大おじ」というキャラクターもまた宮崎駿 自身であるのだと思う。これまで積み上げてきた積み木。その世界を次の世代の後継ぎへと託そうとするものの、崩れてしまって終わりを迎えた。「僕はこんな(アニメの)世界をつくったよ。さぁ君は次どんな世界をつくる?」と優しく問われるような、そんな感触がした。