自分の解釈は人のせいにできない
自戒の念を込めて記しておこうと思います。
近年はSNSの発達もあり、いろいろな人の言葉や呟き、人生が容易く目に入ってきます。
それを見たときに、どんなことを感じるか、どんな解釈をするか、どんな影響を受けるか、これって、「誰のせい」なんでしょうか。
最近、コメント欄が大荒れのSNSアカウントを目にしました。
SNSでの誹謗中傷は度々話題に上がり、人に究極の選択を選ばせてしまうほど、顔も知らない相手からの容赦ない攻撃が繰り広げられている。
そしてそんな事件が起こるたびに、世論は「誹謗中傷していた人たちが彼を彼女を殺したんだ」というまた違う側面での批判が溢れかえるのに、次の日になればまた誰かが的にされ、1週間も経てば「殺された誰か」を世論は忘れてしまいます。
そしてまた同じことが繰り返されていく。
今日も誰かのコメント欄は誹謗中傷の言葉がグサグサと置かれていきます。
彼らは本当のことを「何も知らないのに」です。
週刊誌の報道、ネット上の噂、それらを見ただけで、「クロだシロだ」と決めつけて、「本当のことなのだ」と無意識的に決めつけてしまい、銃の引き金を引いてしまう。
果たしてその銃の引き金を引いたのは、「誰のせい」なのでしょう。
誹謗中傷されている本人か、
事実か定かではない情報を世の中に公開することでお金を稼ぐマスメディアなのか、
大きな世論の波にいとも簡単に流されてしまう「私たち」なのか
きっとその誰でもなく、銃の引き金を引くのは「自分のせい」だと思うのです。
「誹謗中傷されるようなことを書かれる方が悪い」
「火のないところに煙は立たない」
こんな自己擁護を目にすることも数多いですが、近ごろのSNSでは、火のないところでも煙を立て、燃やすことはできてしまうでしょう。
これは引き金を引いた自分を正当化するための、意味を持たない常套句です。
では、マスメディアのせいなのか。
それも正ではないでしょう。
確かに近年は、マスメディアの情報の届け方や中立性、正確性などに異を唱えたくなるようなことも起きていますが、この国では「言論の自由」や「思
想の自由」「報道の自由」が保証されています。
これら「自由」という観点では、報道機関は事実を報道することは前提に、国民が「思想」「意見」を形成できるように、他者の「思想」や「意見」にも自由を伝達したり、それに伴う送り手の意志も働くのです。
例えば、「週刊文春」を発行する文藝春秋が、社の精神としているものは以下の文章。
また例えば、日本放送協会(NHK)の会長はこのように述べています。
大手報道機関が報道しているのだから「間違いない」なんてことはなく、そこには必ず報道を作る作り手たちの意志や自由な心が含まれているのです。
当たり前のようですが、「正しいことだけ、事実だけ伝えます」とはどこにも記されていないのです。
しかし私たちは、情報を伝達する側にばかり「正しさ」を求め、自身の目を養う責任を放棄してしまっているのではないか、そんなことを感じたりもします。
こうした観点から考えると、銃の引き金を引いてしまったのは、まぎれもなく「自分のせい」なのです。
「正しい情報を届けてくれないマスメディアに踊らされた」のは情報の送り手ではなく、受け手側が受け取るのに十分な情報リテラシーを持っていないから、とも捉えられてしまうのです。
現代の社会は、急速なインターネットの普及、それに伴う情報化によって、技術は目覚ましく進歩し、情報は真意を問わず目まぐるしく流され交換され続けています。
しかし、我々の情報リテラシーは、それについていけているかどうかは疑問が残ります。
いとも簡単にフェイクニュースが事実のように拡散されてしまったり、根拠のない誰かの発言がまるで事実であるかのように伝わってしまったり、「それっぽい」というだけで「そうである」認定をされたり、中身を読まずに記事の釣りタイトルだけを読んで解釈をしてしまったり、こうしたことが日常的に起こってしまう世の中なのです。
だからこそ、常に「引き金を引くのは自分の責任だ」ということを心にとめておきたいなと思うのです。
「だって誰かが言ってたから」とか
「だって正しいと思ったから」とか
そんな言い訳は意味を為さないほど、一度飛び出した銃弾はデジタルタトゥーとなり残り続けてしまいます。
そんな面でも、「正しいのかどうかわからない」情報や誰かの言葉を鵜呑みにして、安易に銃の引き金を引くべきではないな、と、そんなことを思ったりするのです。
誰もが無限の銃弾が詰まった銃を所持している今だからこそ、そのことを認識することだけでも、きっと「顔も知らない誰か」を救うことができるのではないかと思うのです。
わたしも、いろいろな情報に触れる中で、受け止め方や解釈の仕方、感想や考えの抱き方に迷うことが多くあります。
そして時に、心の中で批判的な言葉を呟く瞬間もあります。批判と誹謗中傷の違いや言葉の使い方を、慢心することなくアップデートし続けていきたいと思います。
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