住所不定探偵 4/5

梅田まで

俺が薄い毛布から起き上がるとテルコは既に家にはいなかった。俺はテレビを付け、顔を洗ったり冷蔵庫にあったヨーグルトを食べたりしていると、くすねてきた店長のケータイに着信があった。〈サミーズ日本支社 染屋崎〉からだった。

「お疲れ様です。染屋崎です。今しがた警察から連絡があって…久保田さん?久保田店長ですよね?」

俺が黙っていると染屋崎という社員の男は話を切り上げてしまった。久保田は店長の名前だ。

「もしもし、すいません。こちら176号線店でアルバイトをしている佐藤といいます。店長は朝方ちょっと倒れてしまって、今は仮眠室で寝かせています。過労ですかね?なにか薬を飲みながら働いていたみたいですし。快復したらお伝えしておきましょうか?それとも…こちらから伺いますか?」

電話口に少しの沈黙が流れた。染屋崎はゆっくり口を開いた。

「わかりました。佐藤さん。では店長代理ということで、本社の方に来てくれますか?」
「了解です。では後ほど」

俺はそこで通話を終えた。

俺が阪急十三駅で梅田に向かう電車を待っていると、今度は警察から電話が来た。店長のケータイではなく、俺の方にだった。

「もしもし、佐藤与兵衛さんですね。解剖と家宅捜索が終わりましたので、本日、佐藤さんに重要参考人として署まで出頭願いたいのですが…」

俺は電車に乗りこみながら続けた。
「そっちから来るってわけにはいきませんか」
「は…なんだと?」
「梅田にあるサミーズの日本支社に行かなきゃなんないんで、今日はパスで」
「おい、ふざけたこと…」

俺はそこで通話を終えた。

大阪駅周辺のビル街に、サミーズバーガー日本支社はあった。俺は梅田で電車を降り、大阪駅のキオスクでショートホープとライターを買い、10階ショッピングモールの裏口を通り、非常階段に備えられた社員用の喫煙所で一服をした。喫煙所からはサミーズ日本支社のビルが見えた。喫煙所には誰もいなかった。

一本目を吸い終わり、二本目に火をつけたあたりで、神が来た。
俺は神にショートホープとライターを渡した。神は無言で受け取りそれを吸い始める。
俺は二本目を吸い終わり、火を消し、壁にもたれかかってサミーズ日本支社を眺める。
神はショートホープを根本まで吸い、もう一本に火をつけていた。社員用の喫煙所には誰も来なかった。

神は二本目を吸い終わり、しばらくむせてから、口を開いた。

「警察に任せておいたほうがいい」

俺は「悪いけどそれは無理っす」と言って喫煙所を後にした。神は困った表情でこちらを見ながら、ショートホープとライターを泥だらけのジャケットにしまいこんんだ。

サミーズバーガー日本支社

サミーズバーガーはビルのエントランスから6階まで居を構えていた。6階から上は20階くらいまで聞いたこともない旅行会社や広告出版社がひしめいていた。俺はビルの上でふんぞりかえっている方が偉いのか、下で支えている方が偉いのかを考えた。

受け付けには女が二人いた。「すいません、染屋崎さんという方に会いたいんですが」と伝えると、片方が何かを耳打ちし、席を外した。

「染屋崎とはアポイントを取られていますでしょうか?」
「まあ、はい」
「お名前お伺いしてもよろしいですか?」
「佐藤与兵衛と申します」
「佐藤様ですね…少々お待ちください」

そういってもう片方も消えてしまった。

俺はやることがなくなってしまったので3回まで吹き抜けになったフロアを眺めた。みんなスーツを着て髪をセットしている。高そうな靴を鳴らして歩いている。ブーツにジーンズなのは俺くらいだ。俺はふやけたハンバーガーをいくつ売れば高い靴が買えるのかを考えた。

やがて女は戻ってきた。

「では染屋崎の部屋までご案内いたしますので、ついてきていただけますか?」

女はそのままエレベーターで6階まで上がった。一言も口を利かなかった。

6階のエレベーターが開くと大きなオープンオフィスになっていた。女はそのオフィスの真ん中を通る通路を歩いていく。俺もそれに続く。通路の両側にはパソコンに向かうスーツ、スーツ、スーツ…

やがて、そのスーツの中から一人、二人と立ち上がり、五人ほどが俺たちの後をついてくる。全員が無言だ。女も無言、俺も無言、後に続く五人の男も無言。俺だけがスーツじゃない。

女は突き当りの個室の扉を開け、俺に入るように促す。
俺と、五人の男が個室に入り、女は扉を締め、どこかに行ってしまった。

染屋崎は広い個室の奥にいた。俺に気づくとパソコンから顔を上げる。
「佐藤さんですか。この度はご足労です。こちらにかけてください」
と、応接用のソファを指す。

「立ってるほうが好きなんでね」
と言ってその場に居続けようとすると、五人の男が俺を無理やりソファーに押し込めた。そのまま五人の男は座った俺を取り囲む。

染屋崎はデスクから離れ、俺と対面になるソファに腰掛けた。

「久保田店長が倒れてしまいましたか。残念です」
一つも残念そうには見えなかった。
「店長の仕事は大変ですからね。下から文句を言われ、上からせっつかれる。タフな仕事ですよ。誰にでもできることではありません。連帯責任が一番のしかかるところです。組織のことを第一に考えられる人間じゃないとつとまるもんじゃない」

そういうと染屋崎はクリップボードを一枚こちらによこした。クリップボードには店長就任の辞表が挟まっていた。

「そのぶん、給料ははずみます。どうです?佐藤さん。あなたはアルバイト歴も長いし、そろそろいい歳だ。店長を任されるというのも悪くない話だと思いますが」

俺は久保田店長のケータイを開き、覚醒剤の詰まったジップロックを抱えて彼が裸で伸びている写メを見せた。
五人の男が少し緊張したように見えた。

「抱き込むなら他を当たってくれ」

俺がそう言うと、染屋崎はクリップボードを戻してしまった。

「サインをいただけないのは残念ですね」

そういうと、染屋崎は五人の男に指示を出した。俺は一人の男に襟首を掴んで立たされる。それから誰かが俺の腹に拳を入れる。俺は咳き込み、くの字になって床に倒れる。

「どうです。もう一度考え直してみては」

染屋崎はクリップボードを寝ている俺の鼻先に差し出す。

「今ならこの額で仕事を任せます。これからパンチ一発ごとに10%の減額です。あなたの今の給料を下回るのはちょうど10発です。早いうちに決めたほうが賢いと思いますが」

俺はクリップボードに挟まれた辞表を握りつぶした。

「モナミは…誰がやったんだ…」

後ろの男がもう一度俺を立たせる。男のうちの一人が手にタオルを巻いている。

「質問に答えたら、店長をしていただけますかね」

染屋崎はもう一度合図を送る。
今度は顎に拳が入る。物が二重に見える。昨日のビンタの傷跡が開いたような気がした。

「モナミさんなら然るべきところにお願いをしたから大丈夫ですよ。警察にもきちんと連絡をしてありますしね。あるんですよ。人を消すお仕事というものが。あなたには関係ありませんけどね」

染屋崎は皺だらけになった辞表をクリップボードから外し、そのへんに丸めて捨てた。「待ってくださいね、今新しいのを印刷しますから」マウスをカチカチやりながら染屋崎はもう一度合図を送る。俺はきちんと羽交い締めにされ、ボディブローを二、三発もらう。内臓がミシミシ言って俺は血の混じった吐瀉物を床に吐く。毛足の長いクリーム色の絨毯が少し赤くなる。

「そもそも今の店長…久保田さんもね…あまり使える方ではなかったので…不慮の対処が苦手というか…例えば指定した量の10倍の塩をハンバーガーに入れてしまったとしましょう。普通のハンバーガーだと思ってかぶりついたお客様は阿鼻叫喚。怒り狂ってレジに向かいます。佐藤さんはこういう場合どうしますか?久保田店長は…我々に助けを求めた。不慮の事故に対しては現場で処理してもらわなきゃ困りますよね…我々だって暇じゃありませんから。それが連帯責任ってもんですよ…社会の常識です」

俺を羽交い締めにしていた男は俺をソファに投げ捨てる。パソコンを操作し終わった染屋崎も椅子に戻る。

「現場でなら、様々な対処が可能です。平身低頭あやまるとか、水を用意して新しいバーガーを差し出すとか、無料クーポンを配るとか…我々本社ができるのは、そのクレーム自体を”なかったこと”にすることだけなんですよね」

俺が腹を抑えて喘いでいるので、染屋崎は深くかがんで俺の目を覗き込む。

「わかりますか佐藤さん。モナミさんなんて人はそもそもうちのアルバイトにいなかった。店長と接触もしていませんし、うちの覚醒剤も使っていない。そもそもうちは覚醒剤なんか取り扱っていない。バイトにディーラーをさせたりなんかもしていないし、ポルノ産業に斡旋なんかもしていない。店長は覚醒剤で遊ぶ際、手違いでモナミさんに間違えた量を与えていないし、それでかなり危ないところにいったモナミさんにロープでとどめを刺してもいない」

そこまで言うと、染屋崎は立ち上がった。

「まあ、久保田店長がそういう妄言を吐くとも限らないので、彼にはちょっと口が聞けなくなるようなお薬を飲んでもらいましたけど。牛や熊が使う薬なので、てきめんに効いてるはずですが」

俺は目の焦点がブッ飛んでいた店長を思い出した。店長の拳からは血が流れていた。

「そろそろ印刷が終わっているでしょうから、辞表をとってきます。今でパンチは五発くらいですかね。きっと佐藤さんなら店長を勤め上げることができると思いますよ。前向きに検討してくださいね」

そういうと染屋崎は個室を出ていった。

染屋崎がいなくなり、男たちの緊張が緩んだのを俺は見逃さなかった。

俺はクリップボードに挟まれていたボールペンを逆手に取り、すぐ横にいた男の目に突き刺した。
男は絶叫し、その場にうずくまる。

「野郎!」

男のうちの一人が俺にタックルを仕掛ける。俺はそれを軽く引いてかわし、頭が下がった男の顎に膝を入れる。男の顎が砕け、その場に倒れる。残り三人。

俺は染屋崎のデスクに周り、置いてあるものを手当たり次第に投げつける。電話、ペーパーウェイト、パソコン、書類。残った男はそれをかいくぐってくるので俺は万年筆を二本掴み、牽制をする。それでも一人が掴みかかってくる。俺は万年筆を相手に向ける。男は反射的に目をかばう。俺はがら空きになった腹にドクターマーチンをめり込ませる。男は腹を抱えて二、三歩下がる。俺はがら空きになった眉間に万年筆を突き刺す。
「アアアアアアアアアアアア!!!」
リーバイスに血しぶきが走る。
残り二人。

そこに騒ぎを聞きつけた染屋崎が走って戻ってくる。

「この野郎!」

頭に血が上った染屋崎はデスクまで走り、拳銃を取り出し、俺に銃口を向けた。

「警察に任せておいたほうがいい」

ああ、神はそんなこと言ってたな。俺の出る幕じゃなかったのか。

刹那、五発の銃声。火薬の匂い。静寂。

残った男も染屋崎も、恐る恐る部屋を見渡している。俺もゆっくり腕から顔を上げる。部屋にいる全員が腰を引いて様子を確認している。
後ろを振り返ると、銃弾が五発、強化ガラスにめり込んでいた。染屋崎は口を大きく開け、銃のショックに打ちひしがれている。なんなんだ。

俺は弾切れした銃をいつまでも構えている染屋崎に言う。

「気が済んだろ。モナミのことはよくわかった。俺は警察が嫌いだから介入するつもりもない。店長を引き継ぐ気もない。ただ、俺に容疑がかかっているのが困っているだけだ。警察に口が効くのなら俺の容疑だけは取り下げ…」

そこまで言うと、残った男の片方が椅子を持ち上げ、こちらに投げた。俺は慌てて屈んで避ける。椅子は俺の頭上を通り、強化ガラスに突き刺さる。強化ガラスはそれでも割れなかった。が、ゆっくり傾き、窓枠ごと階下に落ちていった。

「…社員教育はちゃんとしてくれよな」

俺がガラスを失った窓を見てあっけにとられていると、残った男二人が油断していた俺を突き飛ばす。男はそのまま馬乗りになる。俺はしばらくもがいて抵抗していたが、もうひとりの男がやってきて俺の顔を二、三発殴る。俺は意識が一瞬遠のいて、気がつくと床に押さえつけられた。

染屋崎は屈んで俺の顔を覗き込む。

「教育はちゃんとしてあるわ、ボケ」

そして男たちに命令する。「もうええやろ。落としたれ。こいつは、女殺した罪に苛まれ、自首しようと俺に相談に来て、発狂して飛び降り自殺や。オーケー。おつかれさん」

男たちは俺を窓まで引きずる。
えっ、ちょっと待って、と言う間もなく俺はそのまま外に投げ捨てられた。

俺はビルを見上げて落ちながら、モナミのことを考えていた。一年ほど前、モナミがバックヤードでいつまでも泣いていた。理由は忘れた。俺はコンビニで酒を買い、公園で飲みながらモナミの話を聞いた。モナミの話は支離滅裂で何を言っているのかわからなかった。そのあとモナミの家でセックスをし、朝起きるとモナミは既に大学に行っていた。俺は悪いことをしたかなと思っていたが、モナミは以前と変わった様子がなかったので、特にそれ以上手助けすることもなかった。それからしばらくして俺はなぜかベランダを借りることになり、やがてモナミは死体になった。モナミ、困ってたなら言えよな。言わなきゃわかんねえよ。あるいは俺が気づくべきだったのかもしれない。どちらにせよ、もう遅い。

俺は硬いコンクリートを予想していたが、眼前はなにか黄色い布で埋め尽くされた。一瞬何が起きたかわからず手足をばたつかせてもがいた。血に染まった万年筆が黄色い布に絡まり、どこか行ってしまった。
俺がようやく上半身だけ起きあがると、俺が落ちたのは警察が用意した大きなクッションの上だということがわかった。警官の一人が俺に駆け寄る。「大丈夫か?大怪我だ!救急!」俺は抱き上げようとする警察の手を振り払う。「この怪我は別件です」俺は立ち上がる。救急隊がストレッチを持ってやってくるが、それも遠慮する。「いま保険証ないんで」

今朝、電話を無視した俺を逮捕するため警察はバイト先に向かった。
朝のシフトの連中に話を聞くとどうも様子がおかしい。
バックヤードを洗うと、覚醒剤と裸の店長が仮眠室から出てきた。
それで慌ててサミーズの日本支社に応援を回した。
警官が俺を逮捕するためにオフィス前で構えていると、突如椅子の突き刺さった強化ガラスが降ってきた。
警官の二人が下敷きになり怪我をした。
警察は救急車と追加の応援を呼び、念の為クッションを用意した。
そこに俺が落ちてきた。
警官の話ではどうもそういうことらしかった。

俺は人影の向こうに神の姿を見て、そちらに歩き出す。

神は階段に腰掛けショートホープを吸っていた。俺は足を引きずりながらそこまで向かい、神の隣に腰を下ろした。神はショートホープを一本差し出しながら言った。

「一つ貸しだ」

俺は「ざっす」と言いながら受け取り、それを吸い出した。

【続く】

毎度どうも