伏井出ケイの杖

※本文は『ウルトラマンジード』のネタバレを多大に含みます(むしろネタバレしかないです)。


はじめに

2017年にテレビ東京系列で放送された『ウルトラマンジード』は長いウルトラマンシリーズの中でもけっこう特異な作品だなと思っています。

「悪のウルトラマン」の象徴たるウルトラマンベリアルの息子の物語であるという点、それまで劇場版での活躍が主軸だったウルトラマンゼロがテレビシリーズのメインレギュラーとして登場するという点、おなじみの防衛隊が出てこない点…などなど、確かに様々な点において『ウルトラマンジード』は他のウルトラ作品とは一線を画しているように思えます。

そんな『ジード』において個人的に印象深いのが、物語全体を通したヴィランである伏井出ケイ。忠誠を誓っていた対象であるベリアルにはストルム器官の器としてしか認識されていなかった…という物語終盤における伏井出ケイの立ち位置はその悲劇的な最後を含め、『ウルトラマンオーブ』のジャグラーとは別のベクトルで魅力的な悪役だと思っています。

最近になってまた『ジード』を見返してケイの魅力を再認識していたのですが、何度も繰り返して見ているうちに、劇中に登場するある小道具の存在が彼の境遇をより効果的に描いているような気がしました。それがタイトルにも挙げた、彼が所持していた「杖」です。

​伏井出ケイの持つ「杖」の違和感

伏井出ケイは劇中で主に2つの姿を見せています。表向きの紳士的なSF小説家としての姿と、本当の姿であるストルム星人としての姿です。物語の中で彼が小説家として振る舞う際、彼は常に「杖」を所持しているのですが、よくよく考えてみると作品内におけるこの「杖」の役割は不思議です。

もちろん今はデザインに富んだ、ファッショナブルな杖も多く販売されていますが、本質的に杖は持ち主の歩行をサポートするものであるように思われます。ですが伏井出ケイは一般的な「杖」の持ち主の印象とは真逆の身体性を所持しているように思われます。例えば終盤でライハとの戦闘シーンが象徴的です。ここではケイの杖はライハの剣を受ける「武器」として機能しており、杖の本来的な使用用途からは離れてしまい、その本質が薄れてしまっています。この点に関しては『ウルトラマンレオ』のモロボシ・ダンと比較してみるとわかりやすいかもしれません。『レオ』の物語の中でダンが用いていた杖も作中では武器として機能していますが、その本質的な役割は『レオ』の第1話で負傷した足をサポートするものです。そう考えると、『ジード』での伏井出ケイの杖はそれとは異なるように思えます。

「SF作家としての紳士的なイメージを引き立てる小道具として杖があるんじゃないの?」と思いましたが、でしたら「どうして『傘』ではないのか?」という考えが浮かんでくるのも事実です。「傘」でしたら「杖」ほどの身体性は付与されず、なおかつ紳士的なイメージを所持者に与えることができるように思えます。

では、どうして伏井出ケイは「杖」を所持しているのでしょうか…?

「杖」が象徴するもの

「杖」の本質的な用途を振り返って考えてみると、平たく言えばそれは「使用者の体を支えるもの」です。ここで「杖」の「支える」という要素だけに注目すると、『ジード』の物語において「杖」が象徴するものが見えてくるように思えます。

結論から言うならば、『ジード』において「杖」が象徴しているのはケイが異様とまで形容できるほど崇拝した対象である「ウルトラマンベリアル」であるように思われます。というのも、ケイは常に「ベリアル」を主軸として行動していたからです。それは言い換えるならば、ケイは「ベリアル」に支えられながら常に物語の中に存在していたことになります。

思いかえせば、ケイがリクと互角に戦えたのはベリアルの力を介したフュージョンライズによってですし、そもそもケイがSF作家としての名声を確保できたのもベリアルとゼロの戦いがあったからです。ベリアルの「支え」があったからこそ、彼は作中で行動できていたようなものです。

加えて、中盤から終盤にかけてたびたび語られる彼のモノローグは、彼がベリアルを「支え」として生きていたことを説明づけるものでもあります。特に沖縄の城における彼のモノローグは印象的です。(「ベリアルはケイにとっての何なのか」は伏井出ケイのアイデンティティを巡る1つのテーマでもあるので、ストーリーを通じてこの意識はかなり前面に出ていますね)。

また中盤から終盤からの展開におけるケイの動向から、彼の持っていた杖が「ベリアル」の象徴であることがわかるように思われます。例えばケイが記憶を失う中盤では彼は杖を所持していません。彼が杖を失っていた記憶喪失の間、彼の「支え」となった存在、言い換えるなら「杖」の代わりになった存在は石刈アリエ、ウルトラマンベリアル本人でした。

以上のような物語中の表現から、「杖」は「伏井出ケイはウルトラマンベリアルという存在を必須の支えとしている存在である=支えがないと彼は行動できない」という伏井出ケイのアイデンティティを綺麗に象徴していたと考えられるのです。

伏井出ケイが消えても杖は残る

終盤、伏井出ケイはライハとの戦いに敗れ、さらにストルム器官を失ったことにより寿命が早まり、最後には消えてしまいましたが、彼が使用していた杖は彼の消失後も残りました。この表現について、「杖はケイの身体じゃないから残るのは当たり前じゃん」とは思うのですが、以上のような考察を踏まえると、ここで杖が残ることに1つの意味を見いだせそうな気がするのも事実です。

『ジード』終盤において、ベリアルはジードに敗れてしまいました。これでベリアルはもうウルトラマンの物語に干渉してこないはず…なのですが、のちの作品でベリアルの要素は次々と登場します(『ウルトラマンZ』のデルタライズクロー、ベリアロクなどがその一例でしょうか)。その理由は簡単で、ベリアルの遺伝子を持つジードがまだウルトラマンとして存在しているからです。つまり、ベリアル本人は消えてしまいましたが、その遺伝子を継ぐジードはまだ残っているわけです(最近では『ANOTHER GENE』にて叶夜ニクスの存在が明らかになりました)。

つまり伏井出ケイが消えても杖が残ったことは「ベリアルは消えたが、その遺伝子はまだ残っている」ということを表現していたように思えます。

おわりに

以上の解釈はあくまで私の一方的な(かなり自分勝手な)ものなので、シリーズの脚本を担当した乙一さんがこれを想定していたとは断定できません。ただ、こう考えるとケイの所持していた杖がより効果的に思えますし、伏井出ケイの魅力がより一層引き立つような気がします。

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