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私は女だが最近のジェンダー論がややこしくて立ち位置に悩んでいる

私は女性の身体で生まれて自認も女性の人です。恋愛対象は男性で結婚して姓も変えて子供も産んでいる人です。マジョリティに聞こえるでしょう。

しかし小さい頃からジェンダーに悩んできた人でもあるんです。なぜなら興味や行動がジェンダー関係無いタイプだから。お人形遊びやママゴトはあまりしない子でしたが、まったくやらないわけでもなく、どちらかというと砂場やボールや遊具や虫に夢中な子でした。だからと言って男の子っぽくも、こっちで言う「トムボーイ」でも無いんです。

そのまま大人になり、今は米国で土木エンジニアをやっています。団塊ジュニアなので日本では女子教育の名残がある時代で育ちました。それでスカート制服も嫌で私服で通える工業高校に行きました。そして工学部出身です。

「リケジョ」や「けんせつ小町」などのノリが大嫌いです。あれこそが押し付けです。けんせつ小町のサイト見てみるといいですよ。大手ゼネコンが「女性ならではの目線と気付きを大切に」「女塾」「○○娘」とか書いちゃっています。笑

アメリカでも建設雑誌で女性特集がたまにありますが、会社にやらされている感無しどころか女性経営者特集だったり、Shirley Chisholmの名言、“If they don’t give you a seat at the table, bring a folding chair.”の精神が大切だ!などのアドバイスだったりします。

そりゃこっちの女性も苦労は絶えないさ

女性はもちろん男性とは身体的な違いや筋力の差はあります。骨格も筋肉の付き方もテストステロンの量も違いますし、女性ホルモンが色々と影響するわけですから。男性には想像して欲しいです。自分の小6くらいの身体スペックで同じように仕事する状態を。更に女性ホルモンだの出産だのですよ。男性は自分たちが「チート」気味だと思った方がいいです。社会は男性に合わせてありますからね。しかし残念ながらそれでもこの条件で問題無く働いている女性の逞しさを評価できない、気が付けない人が多いというね。

なのでUSA市民になった

ちなみに私に関しては筋力も体力も維持努力をしています。こんなだとよく「ガサツ」なんじゃないかと思われますが、実は手先が器用で料理も裁縫も編み物も日曜大工も得意です。というわけで日本でもアジア女性に対する偏見だらけの米国でもキャラが理解されにくく、それはもう日々思い悩みながら暮らしているわけですよ。

しかしようやく近年「ジェンダー論」が盛んになって私みたいな人も変人に思われなくなってきました。自分が生きているうちにここまでたどり着くとは感慨深いです。ありがたいです。

ところが最近なんだか別の悩みが出てきました。ほら「ノンバイナリー」や「ジェンダーレス」など細分化してきていますでしょう?

私、また誤解されてるんじゃないかという心配。

私は何があろうと自分の興味が勝つタイプだから、たまたま範囲が伝統的に男性が多い分野にも被りがちというだけで、身体も自認も女性としてアラフィフまで生きてきたわけですよ。

なんかこれが「女性」ではダメな風潮になってないかい?

更にややこしいのは、ジェンダー論の巻き返しなのか、私みたいな人に「ガーリーガール」のどこがいけないのか?あなたが女性蔑視しているのではないか?という伝統的女性観の人の主張も見かけるようになりました。私みたいなのは、男性に気に入られるためにそういう振る舞いをしているんじゃないか、「ピックミーガール」じゃないか、まであるみたいです。

いやだから私も自称女性らしい女性だってばさ!

女性らしさは単にその時代のその地域の文化的、個人的な定義、私の事を勝手に女性らしさから除外すんなコラ、みたいなモヤモヤになっているんです。笑

何もしていないのに変な立場に追い込まれているんですよ。 これが悩み。生きにくい。

要するに「女性らしさ」の名の下に女性の身体の搾取、慈悲的差別、内在的女性蔑視が多分に含まれていても、それを受け入れて何が悪いと主張する女性もいるんですよね。日本のアニメもアメリカのポップスターもその塊ですがこれを言うとムキになって怒る女性も多いでしょう。

それを受け入れる女性の選択も「自由」かもしれないです。でも幼少期から社会的に埋め込まれたものだとしたら?だとすると自由とは反対じゃないかい?それは選択なのかい?

それで思うんですよ。私みたいな立場で困って自分を新しいジェンダーの定義に当てはめようとしているケースもあるんじゃないかと。それはそれでまた社会的に作られた「らしさ」に合わせている事にはならないのかい?

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