第5章〜誰もが主人公〜(2419字)

今場所は稀勢の里が12日目まで連勝を重ね、単独トップであり続けた。

白鵬が序盤に休場、日馬富士・鶴竜も10日目時点で3つの黒星で差をつけられ13日目には優勝の可能性すら無くなっていた。

そこに星一つの差で追っていたのが大関照ノ富士である。

かつては稀勢の里に先んじて賜杯を手にした彼が、虎視眈々と稀勢の里に迫ってきた。

前日に照ノ富士の兄弟子日馬富士によって黒星をつけられ、まずい怪我をしてしまった稀勢の里。14日目には結びの一番で前述の通り、鶴竜に(当然)あっさりと土をつけられてしまう。

しかしその前に一つのドラマが起こっていた。

一年前の初場所に日本出身力士として10年ぶりの賜杯をその手にした琴奨菊が先場所カド番で負け越し、関脇に落ちていた。しかし今場所10勝以上すれば大関特例復帰が認められる。

13日目を終えた時点で8勝5敗。あと一番でも落とせば復帰の望みは絶たれる。

不退転の想いで臨んだ相手が、照ノ富士であった。

観客の割れんばかりの琴奨菊コール。かつてのヒーローに再び輝きを取り戻して欲しいという想いが声援として表れていた。

また明日、稀勢の里と当たる照ノ富士を倒して少しでも稀勢の里の優勝の可能性を高い者して欲しい、という想いもあったと思う。

そんな四面楚歌とも言える状況の中で照ノ富士は土俵へ上がり、琴奨菊に対峙した。

相撲は勝たなければ成功を収められない。負けて成功を収められた力士などいないのだ。

(注:幕内最多敗戦数773敗(通算944敗)を保持しているのは旭天鵬だが、彼が敗北でその名を残したというものは誰もいないであろう)

照ノ富士自身、先場所負け越して四度目のカド番で迎えた今場所。膝の状態も十分ではない中積み上げてきた12個の白星。

照ノ富士が見据えるのは目の前の一勝、琴奨菊に勝つ事、そして今場所の優勝しか見えていない。勝ちにこだわった相撲で、確実に勝利を手にして1敗を守り抜き、この勢いで更にその先にある頂をも見据えていたのかもしれない。

立ち合いは一瞬で勝敗が決した。一度は照ノ富士がつっかけて取り直しとなったが、二度目は琴奨菊の低く強い当たりを照ノ富士が右へ素早く“変化”してのはたき込み。

琴奨菊コールに湧いていた観客は、落胆の声とともに怒号にも近い声を上げた。

ここでいう“変化”とは、別に禁じ手でもなんでもない相撲の技術の一つである。

相手の突っ込んでくる動きを予測して素早くかわす。当然勢いよく突っ込んだ相手は、何もない部分へ突っ込みバランスを崩す、そこを上から叩(はた)くだけで勝敗は決される。

“注文相撲”とも呼ばれるこの立ち合い。

例えば、上位の力士を変化で下位の力士が破ったのであれば、さもあろうと納得して見ることができる。ただ突っ込む側も当然それを予測して、そんな単純に突っ込みをする訳がないので、相撲は奥が深い。

力の拮抗した上位力士同士の取組でこの立ち合いが行われた時、観客の思いとしては残念でしかない。

やはり正面からぶつかり合って、想像も絶する力と力の闘いを期待して相撲を見ている。

それも幕内上位の力士の闘いとなればなるほどそれを期待する。

かつて白鵬もこれに近い相撲をとったことがある。

ちょうど一年前の3月場所。前人未到の36度目の優勝を決めた千秋楽、同じく横綱日馬富士との一戦である。負ければ稀勢の里と星が並んで優勝決定戦になる、という大一番である。

私はこの取組は、今回と同じように見えて同じでないように見えた。

白鵬は立ち合いで正面を向いている。そして右左の張り手で当たってきた日馬富士の顔・頭を張る、日馬富士が右にバランスを崩す、白鵬が左へ体を回して横へつこうとするも、バランスを崩した勢いのついた日馬富士には追いつけずに見送る事に。。

横綱にもなってくると“変化”どころか“張り(差し)手”は批判の対象になることもある。

力量差があって当然の下位力士との対戦で見せれば、(相撲内容にもよるが)それは間違いなく横綱らしくない、という声が上がると思われる。

しかし同じ力量を持つ横綱同士となると・・・ま、微妙なラインではあるが私的にはギリギリセーフと言える。

そういった経緯を細かく観察すると、敗れた日馬富士の相手を見ない立ち合いに問題があったように思える。

どちらかといえばそのような相撲で破れるイメージのない日馬富士がそんな立ち合いをしたことが驚きであったように思う。

いってみればこの取組の敗因は日馬富士の不覚にあったのではないだろうか。

話は再び琴奨菊に戻る。

そもそも琴奨菊はこのパターンで敗れることが多い。捕まえることができれば左差しからの怒涛のがぶり寄りで、白鵬も押し出すほどの馬力を持っている。

そのエネルギーがいなされると物理の法則に従って、下へと落とされたり、前へと飛び出したり。。。

それでも懲りずにこの立会いを続ける事に愚直とも言える琴奨菊自身の相撲道が垣間見られる。その姿にファンは応援したくなるのである。

昨年初場所で優勝し、綱獲りのかかった春場所で当たった稀勢の里にも同じような負け方をした。稀勢の里との対戦は63度を数え、史上最多取組数である。

そんなお互いを知り尽くした相手であっても琴奨菊はスタイルを変えない。

ここまでくると、今回の取組で琴奨菊が負けたことも必然のような気がしてくる。怪我の数で言えば、まだ若い照ノ富士の比ではないほどの故障を全身に抱えている。“ボロ奨菊”とあだ名されるほどだ。

琴奨菊はこれまでのスタイルで貫くのか、この変化に対応するための新たな形を手にするのか、これからの琴奨菊にも注目していきたい。関脇で最終的に9勝6敗の成績で終えた今場所。まだ大関に返り咲きへの道は開いている。

一方、勝利した照ノ富士。単独トップとなる13勝目を挙げて、千秋楽の稀勢の里との一番に臨む。

左肩の怪我を抱えた稀勢の里か、膝が十分でない照ノ富士か、賜杯の行方は千秋楽まで持ち越された。

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