第2章〜相撲人気の復活に賭けて〜(1667字)
八百長問題発覚以後、低迷し戦後最低にまで落ち込んだ相撲人気。
相撲協会の様々なテコ入れや改革によってファンへの新たなサービスやアプローチを展開してきた。
更に近年では琴奨菊や豪栄道の日本出身力士の優勝なども相撲人気の復活に力を添えたことは間違いないのではないだろうか。
もちろんモンゴル出身力士達の活躍も忘れてはならない。
絶対的な横綱として、君臨し続けている白鵬。彼の負ける姿を取組前にはとても想像できない。低迷期に一人横綱として相撲界を支え続けてきた大相撲の支柱であることは間違いない。元五輪メダリストを父に持つサラブレッドだが、その足跡を単純にその言葉で白鵬を語るのは失礼にあたる。入門当時は175cm、68kgしかなかった。初場所を踏んだ翌場所には序の口で負け越すほどのそっぷ(相撲用語で筋肉質・比較的痩せ型の力士のこと)であったのだ。
現在の体格にまで成長したのは父母から受け継いだ遺伝子だけではない、彼の血を吐くような努力無くして今の白鵬があるのである。
大関、横綱の昇進もストレートにトントン拍子には進まなかった。当時最強の横綱朝青龍の存在、怪我などを経ての昇進であった。
横綱に昇進後も朝青龍との対戦などで、更に心・技・体を鍛えたのではないだろうか。
年6場所、90番の取組があって2年連続で「86勝」という史上最多勝利数を積み上げ、横綱としての記録を次々と塗り替えていった。
決してその数字だけで単純に比較することはできないが、かの伝説の大横綱双葉山の69連勝(1936年1月場所7日目 - 1939年1月場所3日目)に次ぐ63連勝(2010年1月場所14日目 - 2010年11月場所初日)を記録した。年間2場所(11〜13日間)時代と6場所(15日間)時代、決して同等のものではないが、どちらかに優劣をつけられるものでもない。3年間勝ち続けた双葉山も凄いが、果たして6場所制でその強さを保てただろうか、もちろんそんな架空の話をしたところで答えは出ない。二人とも間違いなく【不世出・稀代の大横綱】であることには間違い無いのだから。
やがてその大横綱白鵬の優勝街道を止めるものも現れる。
日馬富士、鶴竜の後輩モンゴル力士の横綱昇進である。
白鵬を瞬間的に脅かすものはいれども、2場所続けてその力を抑えるものは出てこなかった。
しかし大関として爆発的で持続的な力を発揮すれば、白鵬を抑え込み横綱にななった。
言うは易く行うは難し、その壁を超えられたものはそれまで二人しかいなかった。
それほど白鵬という壁・山は大きく高く重く聳え立っていたのだ。
モンゴル出身3横綱時代の到来。
この牙城を切り崩そうと挑むものが次々と現れては、跳ね返され続けた。
1場所だけの爆発力で切り崩した者達もいる。
照ノ富士、豪栄道、琴奨菊、3横綱以前まで遡ると、把瑠都、旭天鵬。
それぞれの場所にドラマがあった。
把瑠都はエストニア出身力士のの初優勝。
旭天鵬の最年長優勝、6年ぶり日本人力士の優勝。
照ノ富士は日本来日時からのライバル逸ノ城を追い越しての大関昇進。
琴奨菊の栃東以来10年ぶりの日本出身力士による優勝。
豪栄道に至ってはカド番の全勝優勝。
判官贔屓の日本人気質には絶対的強者を破る者の姿は相撲人気を盛り上げ続けた。
もちろん横綱が絶対的強者として君臨し続けることで支える人気もある。むしろそれが前提にあって相撲が成り立っている。
なかなか全編における本題に入れないが、まだここまで書いて今場所の主役の名前が登場してこないことに苛立ちを感じている方も多いのではないだろうか。
しかし本当に彼が1場所でも主役=優勝力士になることはつい先場所までなかった。
瞬間的に連勝を止めたり、全勝を防いだり、ファンの心をいい具合にくすぐり続けてきたのである。
「心をくすぐる」とはよく言ったもので、「くすぐられる」と最初は笑ってはいるが、それが長時間も続けれられれば拷問のように感じる。
日本人相撲ファンの心を長年にわたってあの手この手でくすぐり続けてきた力士こそ、今場所の主役
稀勢の里 寛
その人である。
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