第4章〜初優勝から横綱昇進〜(2764字)


2017年1月場所。稀勢の里にとって運命の場所であった。再び「全勝優勝くらいのハイレベルな優勝」を綱獲りの条件に出されながら、場所前の不調論をよそに稀勢の里は再び勝ち続けた。9日目にかど番の大関琴奨菊に黒星を喫すも、上位陣の休場などの流れも重なり14日目まで単独トップの13勝1敗。星一つ差で白鵬が追う展開。ファンは今日白鵬が勝って、明日は直接対決で優勝が決まるだろうな、と予想していただろう。しかし、この日初顔合わせの貴の岩に白鵬が破れる波乱。千秋楽を待たずして、稀勢の里の優勝が決まる。

・・・心からおめでとう!と言える気持ちを持ち合わせているつもりだ。100%「優勝おめでとう!稀勢の里!」と言える。しかし、、、しかし、、、だ。

ファンの勝手な心理は微妙だ。千秋楽で白鵬に勝って優勝を決めてもらいたかった。そして、新たな不安が募る。「・・・明日勝てるんだろうか。」口には歓喜の言葉しか出さないが、心の裡で影が過ぎる。

そんな心境の中「もう横綱は決まりだ」たいな先走った声が聞こえてくる。それは言って欲しくなかった。あと1日我慢して欲しかった。「明日の千秋楽を終えて、横綱審議委員会で決めること」と言って欲しかった。

稀勢の里に期待する一方で裏切られ続けたファンの想い、千秋楽を楽しみに見れないファンの想い、苦しみでしかなかったのではないだろうか。

そんな中迎えた千秋楽の一番。

これまで幾度となく稀勢の里の綱獲りを阻んできた大横綱白鵬。昨年の五度目の綱獲りに失敗した際には「日ごろの行い、日ごろの考え方。相撲だけ努力してもダメ」と厳しく指摘した。それに対して稀勢の里は「自分は力士として生きているから、土俵の上でしか表現できない。結果を残していないから。結果を残して、しっかりやることが自分の使命」という発言で答えた。

不器用で生真面目な稀勢の里らしい言葉かもしれない。その言葉を土俵上で返す時がこの時来ていた。

一瞬にして白鵬に土俵際まで追い詰められ、あわやと思われたが逆転の掬い投げで白鵬を下した。初土俵から89場所目、大関昇進後31場所が経っていた。それまでの優勝次点12度、ようやく念願の賜杯を手にした。

場所後の1月23日、横綱審議委員会の全会一致で横綱に推挙され、相撲ファンが待ち望んだ日本出身横綱の誕生となった。

大関昇進とともに様々な憶測や多少の批判も生んだ昇進ではあるが、私や多くの相撲ファンは済んだ過去のことよりもこれからの稀勢の里の姿を見続けたいと思ったのではないだろうか。

そして新横綱として迎えた3月場所。17年ぶりの4横綱時代の到来。相撲ファンとして楽しみでしかない。

しかしドラマは波乱含みの幕開けで始まる。初日に白鵬と日馬富士が破れるスタートとなった。さらに序盤で2敗(2勝)となった白鵬が5日目からの休場。この場所は何かが起こりそうな予感がする。一方新横綱の稀勢の里は盤石、安定の強さを見せつけ、今までも当然のように横綱であったかのような強さで勝ち続けた。

12日目を終えて、単独トップの12連勝。星一つの差で大関照ノ富士が追う展開。同部屋の後輩である関脇高安の奮闘も彼の勢いを後押ししてくれているかのようだ。

残すは横綱日馬富士と鶴竜、そして照ノ富士との対戦のみ。これは全勝優勝もあるか!?と期待して迎えた13日目の結びの一番で、事は起こった。

日馬富士が素晴らしい出足で稀勢の里の懐に潜り、前みつをもっと押し出そうとする。稀勢の里は両手で抱えて小手に振ろうとしたところを更に押されて土俵下へ落とされる。観客の悲鳴。うずくまる稀勢の里。左肩を抑えて動かない。土俵へも登ることができない。

夢の中のような歓喜に溢れていた大阪府立体育会館の観客席は静まっていた状態から不穏なざわつきに変わる。。。

これは、、、良くない。日馬富士が稀勢の里に相撲を取らせない相撲の速さ巧さが勝敗に繋がったが、この怪我は稀勢の里の悪い癖が出た結果でもある。

時としてこの窮地の投げは先場所で白鵬を下したように良い結果を生むこともあるが、今日のような悪い結果になることもある諸刃の劔だ。

私はこの状態にさせない相撲を稀勢の里には目指して欲しい、、、とは言っても後の祭。

これは休場もやむなし、という情報も入ってくる。つい一瞬前までは全勝優勝すら夢見ていた急転直下の相撲ファンと私。。。と稀勢の里関。

今後もっと稀勢の里の横綱としての相撲を見る楽しみをとっておくために今場所は(稀勢の里を)見るのを諦めていた。

翌日、大相撲をニュースでチェックして見ると鶴竜に稀勢の里が負けていた。

「そら負けるわ。。。!?ふぁっ!?で、でとるっ!!??」

肩にテーピングを巻いて稀勢の里は強行出場していた。

これはあかん。相撲ファンの心をどれだけくすぐれば気が済むのか。。。

かつて膝十字靭帯を断裂しながら優勝した貴乃花と武蔵丸の伝説の一番を思い起こさずにはいられない。

時の首相であった小泉さんの「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!おめでとう!」は流行語になるほど大相撲に注目を集めた。

かつて貴乃花に次ぐ若さで新十両並びに新入幕を果たした若者が居た。

多くのライバル達は彼の横を通り過ぎて前へと進んでいった。彼の歩みはそれまでの勢いを失っていた。

確かに勢いは無かった。然し歩みを止めた訳では無かった。

確実に一歩一歩を踏みしめながら歩んでいた。

いつしかライバル達は頂上を上り詰めた者、一歩手前で登りきれない者、怪我で引き戻された者もいる、そして土俵上での歩みを止めた者も。。。

彼も最後の山への登攀を何度も何度も挑んでいた。

後一歩、後一指、頂きに指がかかろうとしていたが、登りきれない。山に跳ね返されたり、自らのミスで落ちることもあった。

それでもあきらめず挑み続けた。それが自身の使命と信じて疑わなかったのだ。

そしてようやく運や流れやタイミングが重なり、上り詰めた頂き。

しかしその頂きに立つ事だけが終わりでは無い。そこにどれだけ居続けることが出来るか。その頂きは居続ける事は限りなく危うい立地といえる。この立地をどれだけ磐石な頂きに出来るか、今後の彼の新たな課題となっていたであろう。

白鵬は己の力でその立地に礎石を埋め、柱を立て、崩れることの無い地位を築いた。

日馬富士も、鶴竜も未だに揺らぐことのない地位を築こうとしている。例え時が経とうとも時が経ったなりに工夫しながら己の地位を築こうとしているのだ。

新横綱として迎えた今場所、稀勢の里にはその礎石となる相撲をとってもらいたかった。

しかし起こってしまった怪我という事実。

まだこれから見せられるであろう横綱としての相撲、それを見せてもらう為に残りの2日我慢することも選択肢にあったはずなのだ。

しかし、彼は相撲を取り続けることを選んだ。

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