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なぜinnocent worldはキーを下げるのに未完はキーを下げないのか

ミスチルファンの僕が、かねてから抱いていた疑問です。

ミスチルの曲は、基本的にキーがバカ高いです。桜井和寿さんの音域がバカ広いです。
僕にとっては、Overや未来がギリギリ、Signやしるしになるともう無理。終わりなき旅とか絶対無理。REMに関してはもはや拷問。


そんな桜井さんも、喉の衰えに起因する音域の変化があるのでしょう。ライブでは、過去の曲を中心に「キー下げ」が頻繁に行われます。桜井さんにとって歌いやすくなり安定したライブが期待できるという画期的なシステムですが、原曲のよさが失われかねないというリスクも含んでいます。


がしかし、そんなミスチルのライブ曲の中で、「この曲はキーが高いのにキー下げされず、反対にこの曲はそこまでキツそうじゃないのにキー下がってる…なんでだろう」
ってのがたまにあるわけです。

具体的には、なんでキー下げないの?ってなる曲として「未完」「ランニングハイ」「終わりなき旅」「Prelude」
なんでキー下げる?ってなる曲といえば「口笛」「くるみ」「旅立ちの唄」 この辺りになります。
キーを下げる曲と下げない曲。歌えるんだけど余裕をもって歌いやすくした曲と少々キツくても原曲のまま頑張る曲。この差ってなんだろう。考えてみました。


僕の中では、
桜井さんは「歌いやすさ」ではなく「曲の雰囲気」を大事にしてるんじゃないか、という結論に至りました。


まず、innocent worldから見てみましょう。この曲はキーがものすごく高いです。「またどこかで逢え"る"といいな」の「る」の部分だけ取ってみると、hiB(シ)まで出ています。
分かりやすく例えると、クリスタルキングの大都会の「あ~あ~果てしない~」と同じ高さです。えぐいですよね。
最後にinnocent worldが原曲のキーで披露された(はず)である2011年のSENSE~in the field~でも、桜井さんはもはや命を振り絞るように、苦しそうに歌っていました。
これはキー下げが行われるのも納得ですね。

ではPreludeはどうでしょうか。実はこの曲の一番音程が高いところは、innocent worldと同じなのです。「取り敢えず棚のうえ~~~」のところのhiB。
しかし、直近のライブであるagainst All GRAVITYでは原曲のキーで歌われました。かなり苦しそうではありましたが、ドスの効いた「うえ~~~~~」は鬼気迫る表情も合わさって迫力あるものになっていました。

この差こそ、まさしく「曲の雰囲気」を考えた結果ではないかと。


桜井さんの歌い方して、シャウトじみた高音の出し方があります。美しく伸びるような高音が出なくなった代わりに、喉から絞り出すような声を出すことが多くなってきました。
最近のMr.Childrenには、シャウトの出し甲斐があるギターロックが多くて、アルバムREFLECTION以降にはそういう曲がかなりの割合を占めています。上記の例で挙げたランニングハイや終わりなき旅も同じ類いですね。

さて、そんなシャウトを使ってまで、innocent worldを歌い上げる必要があるのでしょうか。innocent worldとは「純白な世界」という意味。ゴリゴリのギターロックとは違い優しくおおらかに歌い上げるべき曲です。
シャウトを使って無理やりゴリ押せばinnocent world原キーも歌えるんです。でも、曲のアイデンティティを第一に考えたら、キーを下げた方が魅力的なものになる。
Preludeの良さはそのままに、innocent worldは今のミスチルにフィットした新たな形になって、私たちに届けられる。
桜井さんの真意は分かりませんが、これだけでも、ミスチルの引き出しの多さを感じ取れるんではないでしょうか。


この考えでいけば、「口笛」「くるみ」「旅立ちの唄」において、余裕ありそうなのにキー下げが行われる理由も見えてきます(全てのライブでキー下げになるわけではないですが)。

この三曲だけ見たら、ライブバージョンではキーとともに全体の曲調まで大幅に変わっています。2004年シフクノオトツアーのくるみ、MVバージョンの旅立ちの唄なんかは分かりやすいですね。
原曲の力強いイメージから一転、ライブアレンジではものすごく悲壮感の漂うものに変化しています。そんな雰囲気の中でシャウトをかますのはご法度だよね、ってことです。
別にキーを下げなくても歌えるんだけど、少しでも無理して声を荒らげるならキーを下げ、大胆なアレンジも加えてみる。
今まではロングヘアーが似合ってたけど、思い切ってショートにしてみる。眼鏡からコンタクトに変えてみる。
キー下げには、そういう前向きな勇気も含まれていると思うのです。



もちろんミスチルの曲の中には、ただただ音域高いからという理由でキーを下げられた曲もあるはずですが、
そんな歌いづらさだけに目を向けず、曲それぞれが持つ性格にも注目し、必要ならキーとともにメロディラインのアレンジも行いながら、その都度その都度の最高の品質のままライブで私達に届けてくれる。

これこそまさしく、
Mr.Childrenが、高いレベルで、そして長く、音楽界に君臨している理由です。
キーさえも、自らの音域の変化さえも味方に付ける。確固たる自信と勇気を以てして変わる。変わらない為に変わる。そうやって今年も来年も進み続ける。

ミスチルの「キー」にフォーカスした考察でした。





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